祇園精舎の 鐘の声
諸行無常の 響きあり
ぎおんしょうじゃの かねのこえ
しょぎょうむじょうの ひびきあり
「平家物語」の冒頭部分だ。
小学生の頃。
意味も分からずに覚えさせられていた。
42歳になった今、これまでの経験とブレンドされて、平家物語の冒頭部分がすっと心に落ちる。
「諸行無常」
「諸行」とは、すべてのことを指す。
「無常」とは、常ではない、すなわち、ずっと続くわけではないということを意味する。
すべてのことは、儚く、どんどん変化していくという意味だ。
「無常」
その考え方は、仏教の特有の考え方のようだ。
結婚式の頃、永遠の愛を誓ったはずのパートナーとの関係は、今はどうなのだろう。
自分の仕事は、ずっと今のまま続くはずだと思って始めた、今の仕事はどうなのだろう。
自分の子どもは、いつまでも自分の言うとおりに生きてくれるはずと思っていたけど、子どもが成長した今、どうなのだろう。
あれだけ美味しいパン屋さんなんだから、ずっとつぶれないはずだと思っていたけど、今はどうなってしまったのだろう。
ほんの数か月前まで、友人と集まって走っていることが当たり前だったのに、今はどうすることもできない。
マスクなんてしないで走ることが当たり前だったのに、今はマスクしないと罪悪感を感じてしまう。
以前、当たり前のようにしていた外出ができない。
以前、当たり前と思っていたことが、今はできないこともある。
「無常」という言葉は、仏教特有の考え方らしい。
すべてのことは、うつろい、変化する。
変わらないでいたいことを求めると、そこに辛さがつきまとう。
そうなのかもしれない。
すべてのことは、儚く、変わっていくことを受け入れれば、辛さが軽減されるのかもしれない。
新型コロナの影響に限らず、日々、世の中は動き、変わっていく。
自分の身近にある世界も、自分が想像している以上の速さで変化していく。
「前みたいに戻りたい」
そう思うと、辛くなる。
「今」を。
今に続く「未来」を。
素直に受け入れるんだ。
そして、今日も今を生きるだけだ。
でも、変わらない何か強い目標を持つことも重要だろう。
辛いかもしれなけど、強い目標を持ちたい。
「変わらないものがあるんだ」と信じたい。
新型コロナ。
諸行無常。
すべて、クソくらえだ。
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