数日前のことだ。
次女の楓子が俺にこんなことを質問してきた。
「ねぇ、パパ。」
「ギターの丸い穴の中に、あの白いの(ピックのこと)が入っちゃったときって、どういう風に出せばいいの?」
と。
ギターの中にピックが入ってしまう経験。
ギターを持っている方なら、あるあるの茶飯事なんじゃなかろうか。
「あぁ、それはね、穴を下にして、ギターを傾けたりして出すしかないよ。」
と、答えた。
「あぁ、そうなんだね。」
と、楓子。
白いピックは、いつものようにギターの弦のところに挟まっていた。
この時、楓子は、何を意図してそんなことを聞いてきたのか良く分からなかった。
~~~~~
数日前。
田中邦衛さんが亡くなった。
田中邦衛さんの代表作と言えば、そりゃもちろん、
「北の国から」
であるわけで。
ここしばらく、「北の国から」の名シーンが流れることが多かった。
「北の国から」
については、自分は、そんなに語れることは多くないのだけども。
「子どもが、まだ食っている途中でしょうが!」
のシーンは、自分が子どもながらに衝撃を受けたシーンで。
小学生の頃、このセリフを真似していた記憶がある。
「俺が、まだ書いている途中でしょうが!」
とか、真似しながら言っていた、ような記憶がある。
でも、このシーンの醍醐味は、このセリフ自体にあるわけではない、って思っていて。
純が、これまで言えなかった自分の罪の意識をお父さん(田中邦衛)に告白するという、子どもには苦しい心境と。
それに応えて、お父さんが自分の不甲斐なさも告白するという、
お互いの弱い部分を、告白し合うという、非日常的な場面にあると思う。
それが、日常的な町中華で繰り広げられていて。
あまりありえない、親子で来店が店じまいのタイミングという非日常と、お店のお姉さんのムカつく接客とがあいまって。
「子どもが、まだ食っている途中でしょうが!」
のセリフとともに、その後、蛍とお父さんが一緒に、割れた器を拾うという、誠実さが、ブレンドされている。
自分なりの薄い解釈。
~~~~~
数日後。
楓子が塾に行っていて、留守の時。
三女の璃子が、ギターを触っていた。
そして、俺にこう話しかけてきた。
「この前ね、楓子が、この白いの(ピック)が、この穴の中に入っちゃって、手を入れて取ろうとしていたんだよ!」
え?
「でね、手は入んなくって、ギターを裏っ返して、ポンポン叩いて。で、10分くらいして取れたの。」
なるほどね。
楓子は、ピックをギターの丸い穴の中に落としてしまったのだ。
そして、俺に怒られてしまうかもしれないという恐怖から、
どうやって解決すれば良いのか分からないながらに、10分もピックと格闘して、なんとか事なきを得たのだ。
解決できたからよかったけど、次に入ってしまったときの解決方法を聞くために、冒頭の質問をしてきたんだろう。
子どもが、親に、
「自分がしてしまった悪いことを告白する」
というのは、非常にキッツイことだ。
できれば、言いたくない。
楓子は、
「その白いの、入っちゃったんだ」
と言うことはなかったけれど。
※いや、別に、そんくらいのことで怒ったりなんかしないけども。
俺に、探りを入れてきたんだな。
なんか、レベルが違い過ぎるという点は置いておいて欲しいけど。
楓子の気持ちが、純の気持ちと重なった。
もし、楓子に、
「実は、その白いのをギターの丸い中に入れてしまったのは、私です。」
と告白された日には。
俺は、急いで楓子を店じまい間際に町中華に連れていき。
「楓子、言ったろ。こないだお父さんに。」
「なんで風力発電がダメなら、どうして水力発電に挑戦しないんだ?って。」
的な感じで、自分の不甲斐ない部分を告白したいと。
そして、お店のお姉ちゃんのムカつく接客があったならば、
「子どもがまだ食っている途中でしょうが!」
を繰り出したいと、強く思ったのだった。
さてと。
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