新たな輪に入るということは、いくつになっても、期待と不安が入り混じる、なんともエキサイティングな体験だ。
相変わらず、日曜日の午前中は、バドミントンサークルに参加させてもらっているのだが、
同じ場所で、同じメンバーで打っていると、どうしても慣れが出てしまう。
何というか、相手の動きが読めてしまって、バドミントンという競技の楽しさの一部が欠けてしまう気がする。
バドミントンは、相手が予想しないようなところにシャトルを打つことが本質のスポーツで。
慣れた方々とやると、
「この場面だと、ここに打ってくるだろうな」
という感覚が芽生えていて、その通りに打ってくることが多くて。
それはそれで、楽しいのだけど、全く新しいところでバドミントンをやってみたいと思っていた。
以前からその想いは持っていて、近所で行けそうなバドミントンサークルを探していたのだ。
2、3、行けそうなサークルがあったのだが、どうしてもあと一歩、ちょっとした勇気が持てなくて。
それらのサークルに連絡できずにいた。
でも、ちょっとした、「自分の背中を押してくれる出来事」があって、サークルの連絡フォームに投稿し、連絡を取った。
そのサークルの代表の方は、すごく感じの良い方で、参加を快諾して下さった。
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「自分の背中を押してくれるちょっとした出来事」は、
父方の祖母が亡くなったことだ。
この5月4日に亡くなった福井に住む祖母は、92歳だった。
父によると、苦しむことなく、穏やかに眠りについたと。
祖母は、旦那さん(俺の祖父)を病気で27年前に亡くしている。
当時65歳だった祖母は、祖父が亡くなった際、
「とぉさん!とぉさん!起きてよ!起きてよ!」
と言いながら、うわんうわん泣いていた。
祖父が火葬場で焼かれてしまう前も、うわんうわん、泣いていた。
当時、高校生だった自分は、親戚が亡くなるという場面が人生で初めてで、どうしようもなく、どうすれば良いのか分からず。
ただ、自分の気持ちのままに、泣いていた。
祖母に、何と声をかければ良いのか分からなかった。
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それから1年後。
福井で一人で暮らす祖母に、家族で会いに行った。
祖父が亡くなり、一人、暮らす祖母は、さぞかし寂しいのだろうと、勝手に思っていた。
「おばあちゃん。おじいちゃんが亡くなって1年経つけど、どう?元気に楽しく暮らせてる?」
そんな無邪気な質問をした記憶がある。
すると、祖母は、
「今は、すんごく楽しい!こんなに楽しいことが沢山あるんやな、って思ってるよ!」
「こんなんだったら、とうさん、もっと早く死んでくれても良かったな」
と、半分冗談交じりだが、ほぼ本気で、そう言っていた。
おばあちゃんは、
「きゃっ!きゃっ!きゃっ!」
と、特徴的な、甲高い声で笑った。
みんなで笑った。
そんな祖母は、それから、太極拳、グランドゴルフ、水泳など、どんどん新しいことを始め、
友達と旅行にでかけたり、大好きなカラオケに通いまくったり。
散々、人生を楽しんでいた。
本当に楽しそうだった。
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そんな、祖母が、つい最近、亡くなった。
お通夜と告別式のため、福井に帰った。
そこで、集まれた親戚で。
久々に集まれた親戚たちで、楽しくお酒を飲んだ。
おばあちゃんの思い出話をつまみに。
65歳になってからも、新たなことを始め、人生を存分に楽しんだ、おばあちゃんの話をつまみに、大いに盛り上がった。
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横浜に帰ってきて。
そんな祖母に背中を押されて、新しいバドミントンサークルに連絡をした。
新たな輪に入ることは、いつでも期待と不安が入り混じる。
でも、大抵の場合、その不安は杞憂に過ぎず、楽しいのだ。
自分の背中を押してくれて、ありがとう。
おばあちゃん。
大好きだよ。
さてと。
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