俺が新入社員として、ある企業の研究所に配属になり、
先輩に教えてもらった言葉。
「ググれ。ググる前にググれ。」
ソニーコンピュータサイエンス研究所の暦本純一氏がかつてツイートした言葉だ。
未だに俺の信条でもある言葉だ。
だが、俺の信条も変えなければいけない時代がやってきた。
自分が必要な情報にたどり着くための最善の方法は、
かつては、
「知っている人に聞くこと」
だった。
だが、その時代は過去のものとなり、
「Google検索で調べること=ググること」
に変化していった。
そして、今。
「ChatGPT」なる生成AIが闊歩し始めてから約3年が経った今。
ChatGPTは、数年前の情報しか持っていなかった点も改善され、リアルタイムでWeb検索して、情報をサマライズしてくれる。
「ググる」時代は、過去のものになってきているのかも知れない。
皆さんも気付いているかも知れないが、Googleなどの検索窓にキーワードを入れて、
「〇〇の意味は?」とか
「〇〇について教えて?」とか
そんな感じで検索すると、
Google検索であれば、Googleの生成AIである「Gemini」が
「AI Overview」として、それっぽい答えを返してくれるようになった。
そして、個別のWebページにアクセスすることなく、情報収集が終わるのだ。
自分の周りにいる、その道に詳しい人よりも、よっぽど分かりやすく説明してくれている。
もっと深い情報を得るモチベーションがない人は、「AI Overview」を読んで終了するのだ。
この情報収集の形が究極化すると、そう遠くない未来に、
俺たちは、個別のWebページにアクセスすることがなくなる時代が来るのかもしれない。
そして、俺が今ここに書いているようなブログも、インターネット上のゴミになっていくのかもしれない。
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昨年、長女が総合型選抜で大学受験をした時。
課題の資料の全体の構成を、ChatGPTを使いながら練っていた。
1次を通過した後の面接の練習も、ChatGPTで想定質問を考えてもらったり、回答を考えてもらったりした。
次女は、中学では吹奏楽部でホルンを担当していたが、
高校ではトロンボーンを担当することになり、
ChatGPTに、トロンボーンがうまくなる方法を質問していた。
三女は、最近学校から出された作文の課題について、
ある程度のネタをプロンプト上に記載したうえで、ChatGPTを使いながら校正していた。
ちょっと調べたいことがある場合は、「ググる」ことで事足りるのかもしれない。
だが、俺たちが日々抱えている課題はもっと複雑だ。
かつては、
何かの課題があってまとめる必要がある場合、
「ググって情報検索し」
「検索した情報から正しいと思われる情報を抽出し」
「自分がまとめる」
そんな感じの流れで完遂していたのだろう。
だが、今や、
「どのような課題があり、どのようにまとめたいかを考えて、『チャピる(ChatGPTに聞く)』」
「ChatGPTからの返答に違和感がある部分を指摘し、『チャピる』」
「『チャピる』を繰り返す」
「『チャピる』を繰り返してるうちに、まとまっている」
という流れが多くなった。
「ググる」時代と比較し、圧倒的に複雑な課題に対して、何かしらの答えを導き出すために必要な時間が削減された。
そして、今や、「ググる」ことなく、複雑な課題を完遂してしまう時代になったのだ。
「チャピり方」を知らないことは、自分の時間を無駄にしていることになりかねない時代になったのだ。
今という情報社会を生きる俺らに求められることは、
「ChatGPTやGemniに代表される生成AIをいかに使いこなすか」
であろう。
ただし、
生成AIに対して、
「どのようなプロンプトを打ち込むのか」
は非常に重要な課題であり、そこに求められる知識や、文脈を読み解く力は必要で。
良い答えを導き出すための努力は、方向性は違うものの、これまでと同様に求められるだろう。
そして。
俺が今ここに書いているような文章は、生成AIの肥しの一つになるかもしれないが、
決して誰にもアクセスされない、インターネット上のゴミになるような日が、近いうちにやってくるのだろう。
そんなことを考えながら、
ブログについては、
「チャピる」ことなく、
今の自分の思いを徒然なるままに書き記していきたいと思った。