3人娘の親父が走る。いつだって全力中年。

3人娘の親父がランニングを中心に、日々の出来事をそこはかとなく綴ります。

努力と運と競争と。

2025年7月12日土曜日。

この日、楓子の高校野球部の神奈川県大会の試合だった。

楓子は、吹奏楽部で応援の合奏担当。

奥さんと一緒に試合を見に行った。



一昨日、古豪に勝った勢いそのままに、勝利を手にして欲しい。


いや、絶対に勝てる。


そう信じて、観戦。



だが、初回に先制を許し、その後も追加点を与え、

9回2アウトの時点で、

「1-5」

で負けているという、もはや絶体絶命。


しかし、そこから最後の粘りを魅せてくれて、

長打を絡めて、

「4-5」

まで点差を詰める。



4点目のヒットを打った時の興奮と言ったら、もう。。。

言葉にできなくて。

大声で「しゃーっ!よくやった!」と叫びながら、拍手とガッツボーズを無心で送っていた。



「奇跡って、あるのかもしれない」

と。



だが、次のバッターの打球は、セカンド正面で。

「なんとかなれ!」の想いのヘッドスライディングだったが、

アウト。


9回2アウトからの、3点の追い上げを魅せたものの、負けてしまった。



その瞬間。

自分が高校生の時に、夏の大会で負けてしまった、30年前の自分の姿が重なり。

あの時スタンドから見ていた両親の気持ちが、想起され。

あの時の情景が鮮明に頭の中を占めてしまい、

涙が止まらなくて。

いてもたってもいられなくなった。



~~~~~



我が校の球児が、応援スタンドの前に整列し、

「応援、ありがとうございました!」

と、礼をしてくれて、

「こちらこそ本当に感動させてもらいました。ありがとうございました。」

と、心の中で言った。



最速140キロの速球を武器とするエースの球児は、

礼の後、

泣きながらもベンチに戻っていく他のメンバーの中、

一人、緑色のグラウンドに、しばらく泣き崩れていた。



~~~~~



甲子園に行きたい。


高校球児なら、誰もが一度は思うことだ。


各都道府県の多数の参加校の中で勝ち上がってきたチームだけが参加できる、甲子園での夏の大会。




競争に打ち勝ち、勝ち続け、負けることがなかった唯一のチームが甲子園で優勝する。



唯一のチーム以外のチームは、例外なくどこかで負けを経験する。



そうなんだよ。

競争の最後に待っているものは、

大半の人にとっては、

「敗北」

なんだよ。



「優勝を経験した者」もいつかは、「敗北」を経験する。



サラリーマンも、そうだ。

同期入社や、数年先輩と数年後輩との戦いに勝った一人だけが社長になる。



大半の人は、「敗北」が、先にある結果であるのに、他人との競争を行い続ける。



「勝つために努力をするんだぞ。」

そんなことを多くの人は言う。



勝ったときには、

「努力が結果に結びついたのだ。努力してきてよかった。」

的な想いを持てて、

もしかしたら、

「俺はそんなに努力せずとも勝てるから、このレベルで勝つことは、この程度の努力でいけるんだな」

的な努力の閾値を決める要素になるのかもしれない。



負けたときには、

自分の限界を知ることもあるだろうし、

ここまでの努力のプロセスを悔いることもあるのだろう。



このような学びが、高校での部活では大切なことなんだろう。



でも、

今日の試合を見ている限り、

これまでの努力だけではなく、

自分だけの努力だけでは、いかんともしがたい何かが作用して、

勝つこともできただろうし、負けてしまったのだろうと思う。




「実力も運のうち」というハーバード大学の教授の書籍があったりする。




この本を超絶一言で表すならば、

「実力があると思っている人は間違いだよ。その実力も全部、『運』で決まったことだよ。」

「得られた結果も、『運』の要素がほぼすべてだからね。」

って感じだろうか。

そして、

「自分が実力を持っていると自負しているならば、君は運が良かっただけだから、ちゃんと還元しようね。」

的なことも書いている。




なるほど。

そういうことか。



俺が、

高校3年間、頑張って練習したけど、最後の試合であっけなく負けてしまったことも、

俺の努力が足りなかった訳ではなく、運が悪かっただけで、


それなりの大学に入学し、2週間研究室に泊まって修士論文を書き上げてロボットを動かしたことも、

俺の努力ではなく、運が良くたまたま、頑張れたからで、


それっぽい会社に入社して、論文誌に掲載された論文を提出したり、国際会議で発表したりしたことも、

俺が頑張ったわけではなく、なんだかおみくじてきな運が作用したからで、


PTA会長を引き受けることになって、多くの保護者からストレスコメントをいただいたことも、

俺の努力が足りず、意味不明な「運」が作用していたわけで、


ということだったんだな。




なるほどな。

良くわかったぜ。





でもね、「運」という言葉で片づけてはいけないことは、やっぱりあると思うんだよ。



それは、

他人との競争に勝つためではなく、

「昨日の自分よりも、今日の自分が少しでも成長する努力をすること」

だ。



その努力の結果、得られる成果は、何かしらの運も作用するのかもしれないけど。



昨日の自分よりも、今日の自分の方が、1mmでもいいから成長するための努力は、

これから先も、一生し続けたいな。

と、強く思う。



だから、

今日、最高の勝負を見せてくれた、我が校の球児にも、チアリーダーの子たちにも、楓子を含む吹奏楽部の子たちにも、

「ここまでの頑張りと、今日のパフォーマンス、それらすべてにありがとう。」



俺、本当に感動しました。

本当にありがとうございました!



さて、これからプランク1分、3セットやろうかな。

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