なぜ、小学校1年生のあの日の俺は、
パンツを捨てることができなかったのか。
夏になると、そんな問いが、頭を駆け巡る。
俺は、小学校1年生から、電車通学をしていた。
最寄りのJRの駅まで徒歩10分。
JRで2駅乗り、ターミナル駅で乗り換えて、地下鉄で2駅。
学校の最寄り駅から徒歩10分。
通学時間はだいたい40分。
入学してから数か月が経った頃の話だ。
その日は、どういうわけだか、JRに乗ったあたりから、
非常に強烈な便意が襲ってきて、
気を緩めたら、すぐにでも爆発してしまう感じだった。
あと1駅乗れば、ターミナル駅だから、大きなトイレがあるはずだ。
そこまでなんとか我慢しないと。
と、冷や汗だらだらで、お尻の穴をひくひくさせながら、ぎりぎりの線を漂っていた。
ターミナル駅に到着すると、トイレは満室で。
並ぶかどうかを非常に悩んだのだが、
「ここで並んで、万が一、学校に遅刻したら、怒られてしまう。」
という、遅刻することに対する恐れから、地下鉄に乗り換えることにした。
そして地下鉄に乗り換えたのだが、
やはり厳しい状態になり、学校の最寄り駅の1つ前の駅で降りみたが、
トイレは近くになさそうだったので、
すぐにその電車に乗り込み、
学校の最寄り駅に必死に到着し、トイレに駆け込んだ。
トイレまで走っていきたいところなのだが、
「走ったら確実に出てしまう。」
ということが感覚的に分かっていたので、ゆっくり階段を上り、トイレに到着。
トイレは満室。
2人並んでいるという状況。
そして追い打ちをかけるように、
「トイレットペーパー100円」の自動販売機。
当時、往復の電車賃として300円を定期入れに入れていたのだが、
100円という買い物を、自分の判断でしても良いのかが決められず、
「トイレットペーパーを買うわけにいかない」
と結論付け、学校までの徒歩10分我慢し、学校のトイレまで頑張ろうと心に決める。
1歩1歩、お尻の穴に力を入れながら、脇汗かきながら、必死に踏み出していく。
「なんとか頑張ってくれ。俺のお腹。」
少しだけ早歩きをしていたのだが、
ちょっと前の方に、同じクラスの好きな女子が歩いていることに気付き。
その女子も抜かして、一刻も早くトイレに到着したいのだが、
今のこの状態で、挨拶をしながら抜かすのか、
一緒に登校するべきなのか、
そんなことを悩んでいる中、
パンツの中に、もりもりと出してしまった、あの夏の日。
パンツの中に出してしまうという、失態と、
我慢していたものが出た、快感と、
好きな女子にバレてしまったどうしようという、恐怖と。
40年以上も昔のあのときの感情は、今でも鮮明に思い出せる。
もりもりのうんこをパンツに従えながら、
変な歩き方になりながら、
好きな女子を抜かさないように注意しながら、
友達に会いたくない気持ちを抱えながら、
学校に到着し、トイレへ駆け込む。
トイレにこもり、残りを出し切り、紙でふき、
パンツに付いていたものもトイレに流し。
うんこがこびり付いたパンツを洗面台でいくらか洗って、
そのパンツを隠しながら教室に入った。
濡れているパンツを、ランドセルの中に入れるわけに行かないと思った俺は、
自分の机の脚元の床に置き、
なんとかやり過ごそうとしたのだが。
授業が始まると、分かる、
うんこ臭さ。
完全に「うんこくさい」のだ。
これは、いずれバレるに違いない。
そう思いながら、
「その時に、このパンツが見つからないようにしなければ。どんな言い訳ができるのだろう。」
と授業そっちのけで、焦りながら考えを巡らせていた。
すると、俺の周りの子たちが、ざわざわし始め、
「なんか臭くない?」と。
「先生!ここらへん、なんかうんちみたいな匂いがします!」
と。
「ば、ば、ばれてしまった。とうとう、ばれてしまった。」
その時の気持ちと言ったら。
今でも思い出し、当時の情景が思い浮かび、汗が噴き出してくる。

そのあと、どうなったのか、詳しく覚えていない。
この一連の記憶が、夏になると毎年のように蘇る。
そして、後悔するのだ。
「なぜあの時の俺は、パンツを捨てられなかったのだろうか。」
と。
時に子どもは、親や先生の教えには素直に従うことが多い。
・学校に遅刻をしてはいけない
・定期入れの300円は、万が一の時のお金だから、大事に使うこと
・自分のものはなくさないように大事にすること
このような教えに従わなければ、怒られてしまうかもしれない。
そんなことを考えた当時の俺は、
「うんこで汚れた臭いパンツ」を捨てることができなかったのだろう。
だから、47歳になった俺は、
少なくとも、
「うんこで汚れた臭いパンツ」は、捨てられるような大人にならないといけない。
守るべきは、臭いパンツではなく、自身の尊厳なのだ。
世の中の当たり前と言われていることを疑い、
自身のその行動は、
本当に自分を不幸にすることにならないのか?
真の意味で、自分がやりたいことなのか?
と自身に問い続け、
「世の中の当たり前」に生かされている人生は送らないようにしなければと、思うのです。