ここ数年、「静かな退職」というパワーワードがネット界隈を席巻しているじゃぁないですか。
「静かな退職」の定義は、ChatGPTによると、以下とのことで。
会社から期待される“最低限の業務”のみをこなし、それ以上の努力や貢献を自ら進んで行わない働き方。

マイナビのネット調査によると、3000人の有効回答数に対し、
20代、30代、40代、50代のすべての年代で、実に40%を超える方が、
「静かな退職をしている」
と回答したという。
「マイナビ 正社員の静かな退職に関する調査2025年(2024年実績)」 を発表 – 株式会社マイナビ
この40%という数字を大きいとみるか、小さいとみるかは、人によるのかとも思うが、
「会社から期待される”最低限の業務”のみをこなし、それ以上の努力や貢献を進んで行わない」
ことが「静かな退職」だとするならば、
もっと多いんじゃないかな?
と個人的には感じたところ。
一時期、一気に大企業でも導入が進んだ「成果主義」をとっても、
・最高評価を取ったとしても、普通評価を取ったとしても、大して給料は変わらん
・「お前は最高評価なんだが、今年はあいつを昇進させる番だから、来年まで待ってくれ」的な評価面談
・目標を大幅にクリアしているのに、何かと理由を付けられて普通評価になってしまう
など、「名前だけの成果主義」であることが判明してきているし。
※なお、評価制度を作ることを専門として金儲けをしているコンサルがあり、大企業はだいたいこのようなコンサルに依頼して評価システムを作っている
なんといっても、
企業経営の根幹を左右するようなプロジェクトに参加する人は、ほんの一握りであり。
その他大勢は、上層部で決められたプロジェクトの方針を、ロボットのように何も考えずに遂行するだけになっている現実もある。
ここで威勢よく、方針に対して異論を唱えると、たちまちプロジェクトから外されたり、成果主義的な最低評価をゲットしてしまうリスクを負う。
または、異論を唱えると、「じゃぁお前がプロジェクト再構築しろ」と、一気に業務量が増える。
なので、個人的な経済合理性を追求するならば、企業経営に携わるようなレベルのポジションではない限り、
「静かな退職」を選択するのが、最も合理的と言えるような。。。
そんな気がする。
(80%くらいが、静かな退職をしているんじゃないかな?)
だって、サラリーマンや公務員がちょっと出世したところで、大して給料変わらんじゃないですか。
ちょっといい車に乗れるとか、
ちょっとばかり良いところに住めるとか、
外食、旅行の回数が増えるとか、
お金がちょっと増えたところで、人生における豊かさは、ほぼ変わらない。
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そこそこのボリュームの人たちが「静かな退職」を選択していることを、
「現代の何かしらの仕組みに問題があるから」と、
問題とその解決策を考えに考えている人たちもいるのかもしれない。
だが、
実は、数10年の間には、
「窓際族」
「ぶら下がり社員」
「給料ドロボー」
「ノンキャリ志向」
「マイペース社員」
など、静かな退職をしている社員のことを表現するワードはいくつもあったわけで。
そこそこの規模の組織は、結局、
「2・8の法則(パレートの法則)」
に落ち着くんだよねと思っている。
と、ここまで偉そうに持論を語ってみたものの、
「かく言う自分はどうなのか」
と聞かれたら。。。
「『静かな退職』状態になることに必死に抗っている」
という感じだろうか。
入社した当時は、
「この会社で仕事ができること」を誇りに感じていたし、
「自分が創造したことで、世界を大きく変えられる可能性」を感じながら仕事をしていたし、
何より、一緒に働く周りの人たちがすごく魅力的だった。
が、
ここ数年で、自分の業務内容も、会社の置かれている状況も、経営層の考え方も、
大きく変わり。
入社当時に感じていたことが、すべてなくなった。
でも、
「ショボい自分になるわけには、いかん」
「自分の投資する時間は、自分の成長のため」
という、自分の根底にある考え方が、
「静かな退職」の一員になるものか、と強く抗っている。
一方、
「もう、お金を稼ぐことの螺旋からは抜け出して良いんじゃないか?」
「『静かな退職』をして、甘い蜜を吸い続けてしまえば良いんじゃないか?」
という、ブラック全力中年が、心のどこかで囁いていることも事実。
あ!
これが、ミッドライフクライシスってやつなのかっ!!!
ということと、
日本人は、
ゴールがどこなのかが定められていれば、そこへの突破力は凄まじいい、一方、
自らゴールを定めることは、非常に不得意な人種だとも思えて。
「人生のゴールをどこに置くのか」の答えを持ち切れていない、
老若男女が、「静かな退職」を選択しているのかもな、
とか思ったりした。