3人娘の親父が走る。いつだって全力中年。

3人娘の親父がランニングを中心に、日々の出来事をそこはかとなく綴ります。

「過去と他人は変えられない」のかな。

小学校1年生の時。

俺は、うんこを漏らした。
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その過去の事実は、変わることはない。


机の脚元に置いた、うんこがこびりついた俺のパンツが、友達に見つかったときの、あの衝撃。


その事実は、永遠に俺の心に刻まれたままだ。




「過去と他人は変えられない。」

「未来と自分は変えることができる。」

なんていう、エリック・バーン氏の有名な言葉がある。


これからの未来を素敵なものにするために、自分を変える努力をしよう、的なシチュエーションの際に、よく引用される言葉だと思う。




俺がうんこを漏らした事実は変えることができない。


でも、「その事実の解釈」を変えることで、未来の自分を変えることができる。


少なくとも俺は、その「うんこ事件」以来、朝起きてから30分はトイレにこもれるように早起きするようになった。

そして、この「うんこ事件」は、今では飲み会での鉄板ネタでもある。


俺は、自分の中の解釈を変化させることで、未来を変えることができたんだ。




「他人は変えることができないし、期待しない方がいい」

「期待することが、ストレスの原因になる」

なんていうことをおっしゃる方もいらっしゃる。


自分が他人にした期待を裏切られたときには、そのギャップに苦しむことがあるからなんだろう。




でも、本当にそうなんだろうか。



「他人を変えることはできないし、他人に期待しない方がいい」

のだろうか。



実は、ビジネスの世界では、

「他人に期待し、他人を変えようと努力する」

ことの連続であるような気がしている。



「この開発プロジェクトのOKを、上長に承認してもらいたい」

「この製品を、あの会社の方に買ってもらいたい」

「このプロジェクトを遂行するために、あの企業/あの部門と連携したい」


自分一人でできることなんて、ちっぽけで。

他の人に期待し、信頼し、協力し合うことで、より大きな大きな成果が生み出せる。




誰かに期待を寄せ、その期待に応えてくれた時。


その瞬間は、めっちゃハッピーな気持ちになれる。




一方、期待に応えてくれなかったとき、裏切られてしまったとき。


その時は、落ち込むこともあるんだろう。





自分は、過去に、信頼を寄せていた人に、壮絶に裏切られた経験がある。


本気で信頼していた分、その反動が大きかった。


超絶にズタボロになった。


自分が勝手に期待していただけだから、すべては自分に責任があるのだけど。


ただ、裏切られるそれまでの過程で、自分の期待に応えてくれ続けてくれたし、自分も期待に応え続けようと努力していた。

その過程は、最高にエキサイティングだった。






やっぱり、自分は何を言われようとも、どんな経験をしようとも。


たぶん、自分は、バカだからなんだろうな。

だから、こんな風に思ってしまうんだ。


誰かに期待して、誰かが変わってくれることを期待して。

信頼して。

誰か大事な人がして下さる期待には、全力で応えていきたいと思っている。


じゃないと、楽しくないっすよね。



そして、

誰かを、何かを、

変えたい、変わって欲しい、

と強く思うのであれば、

自分の言動で、変化を興す努力をする必要があるんだろう。




ただ、自分も、いくらか学んだことがある。



期待を寄せる人。

誰かの期待に応える、というその誰か。


その範囲が広すぎると、ただただストレスになる。


そもそもコミュニケーションがうまく取れない人のことを変えることなんて困難だし、

双方の密なコミュニケーションがなければ、それもしかり。



連絡を取らない人、近くにもいない人は、いずれ自分の心の中から存在が消えていく。

誰もが、過去よりも、今と未来の比重が大きいから。



だから、自分の「半径5m」くらいの、大事な人に期待を寄せて、大事な人がしてくださった期待に応えていこうと思う。





もうちょっと広くしてもいいかな。

「半径7m」くらいにしておこうかな。





さてと。
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