小学校1年生の時。
俺は、うんこを漏らした。
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その過去の事実は、変わることはない。
机の脚元に置いた、うんこがこびりついた俺のパンツが、友達に見つかったときの、あの衝撃。
その事実は、永遠に俺の心に刻まれたままだ。
「過去と他人は変えられない。」
「未来と自分は変えることができる。」
なんていう、エリック・バーン氏の有名な言葉がある。
これからの未来を素敵なものにするために、自分を変える努力をしよう、的なシチュエーションの際に、よく引用される言葉だと思う。
俺がうんこを漏らした事実は変えることができない。
でも、「その事実の解釈」を変えることで、未来の自分を変えることができる。
少なくとも俺は、その「うんこ事件」以来、朝起きてから30分はトイレにこもれるように早起きするようになった。
そして、この「うんこ事件」は、今では飲み会での鉄板ネタでもある。
俺は、自分の中の解釈を変化させることで、未来を変えることができたんだ。
「他人は変えることができないし、期待しない方がいい」
「期待することが、ストレスの原因になる」
なんていうことをおっしゃる方もいらっしゃる。
自分が他人にした期待を裏切られたときには、そのギャップに苦しむことがあるからなんだろう。
でも、本当にそうなんだろうか。
「他人を変えることはできないし、他人に期待しない方がいい」
のだろうか。
実は、ビジネスの世界では、
「他人に期待し、他人を変えようと努力する」
ことの連続であるような気がしている。
「この開発プロジェクトのOKを、上長に承認してもらいたい」
「この製品を、あの会社の方に買ってもらいたい」
「このプロジェクトを遂行するために、あの企業/あの部門と連携したい」
自分一人でできることなんて、ちっぽけで。
他の人に期待し、信頼し、協力し合うことで、より大きな大きな成果が生み出せる。
誰かに期待を寄せ、その期待に応えてくれた時。
その瞬間は、めっちゃハッピーな気持ちになれる。
一方、期待に応えてくれなかったとき、裏切られてしまったとき。
その時は、落ち込むこともあるんだろう。
自分は、過去に、信頼を寄せていた人に、壮絶に裏切られた経験がある。
本気で信頼していた分、その反動が大きかった。
超絶にズタボロになった。
自分が勝手に期待していただけだから、すべては自分に責任があるのだけど。
ただ、裏切られるそれまでの過程で、自分の期待に応えてくれ続けてくれたし、自分も期待に応え続けようと努力していた。
その過程は、最高にエキサイティングだった。
やっぱり、自分は何を言われようとも、どんな経験をしようとも。
たぶん、自分は、バカだからなんだろうな。
だから、こんな風に思ってしまうんだ。
誰かに期待して、誰かが変わってくれることを期待して。
信頼して。
誰か大事な人がして下さる期待には、全力で応えていきたいと思っている。
じゃないと、楽しくないっすよね。
そして、
誰かを、何かを、
変えたい、変わって欲しい、
と強く思うのであれば、
自分の言動で、変化を興す努力をする必要があるんだろう。
ただ、自分も、いくらか学んだことがある。
期待を寄せる人。
誰かの期待に応える、というその誰か。
その範囲が広すぎると、ただただストレスになる。
そもそもコミュニケーションがうまく取れない人のことを変えることなんて困難だし、
双方の密なコミュニケーションがなければ、それもしかり。
連絡を取らない人、近くにもいない人は、いずれ自分の心の中から存在が消えていく。
誰もが、過去よりも、今と未来の比重が大きいから。
だから、自分の「半径5m」くらいの、大事な人に期待を寄せて、大事な人がしてくださった期待に応えていこうと思う。
もうちょっと広くしてもいいかな。
「半径7m」くらいにしておこうかな。
さてと。
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