キクチヒロシさんとリアルにサシ飲みをした。
自分にとっては、おそらくここ数年で、飲み会を共にした回数は、ダントツで多いお方だ。
ただ、キクチさんとのサシ飲みは、初めてだった。
「今さら、何の話するんだ案件」
ちょっとドキドキしながら、
川崎の「串カツ田中」
に向かった。
「なぜ、串カツ田中?」
そんな疑問を胸に抱きながら。
17時開始だったサシ飲み。
「僕、いつも10時くらいに寝ているので、9時には終わりましょう」
と言っていたのに、途中店を変えて、結局、23時まで飲んでいた。
月曜から夜更かしってやつだな。
キクチさんは、自分のことや周りの人や事について、普段からよく考えているのだろう。
自分の考えをしっかりと言葉にできる方で。
だからこそ、「面白い」。
その考えに共感できることもあれば、共感できないこともあるけど、
「なるほど。」
と、納得できる部分が多い。
「なぜ、田中?」
には、
「『ガリ酎』のナカが200円で飲めるんすよ!」
で、納得できた。
17時からの6時間は、すごく心地よかった。
*****
その日、こんな論文を読んでいた。
渡辺 茂著
「動物の共感 -比較認知科学からのアプローチ-」
「共感する」ということは、社会的な認知の基本的な機能であり、ラットやハトのような原始的な生物にも備わっていると言う。
共感は、4つに分類されると言う。
他者の「不快」を見て、自分も「不快」と感じる、負の共感。
→「同情」のような感情
→最も基本的な共感のメカニズムらしい
他者の「快」を見て、自分は「不快」と感じる、逆の共感。
→「嫉妬」のような感情
→自分と他者の社会的関係に依存するらしい高度な共感
他者の「不快」を見て、自分は「快」と感じる、Schadenfreude(ドイツ語らしい)。
→「他人の不幸は蜜の味」みたいなこと
→自分と他者の社会的関係に依存するらしい高度な共感
他者の「快」を見て、自分も「快」と感じる、正の共感。
→「他人の幸せに幸せを感じる」ようなこと
→実験などで観察することが難しいらしい
この日のキクチさんとの飲みの席でも、やっぱりというか、
「面白いブログを読みたい」
という、定番ネタがあって。
「どんなブログを読みたいんですか?」
に対しては、
「読みたいと思うブログはあるんですけど、なかなか『なんでそれを読みたいのか』を説明するのは難しいっすよね。」
と。
「読んでいて『不快』になるブログは、理由は結構 明確で、、、」
話を聞いていくと、共感の4つのうち、自分が「不快」を感じるような、
負の共感(同情)、逆の共感(嫉妬)に繋がるようなものを好まないように感じた。
「そもそも興味が沸かない」という理由もあったかな。
「あ、全力さんのブログは面白いとは思わないっすよ。笑」
「でも、読んじゃっている。」
「なんで、全力さんのブログ、読んじゃうんでしょうね?笑」
とか、そんな話もした。
「第一印象って、5秒で決まるとか言うじゃないっすか。」
「それって、その後の付き合いでも、あんまり変わらないですよね。」
「全力さんは、なんつーか、『人懐っこい感じ』しましたよ。」
とか、そんな話もした。
他者の「快」を見て、自分も「快」と感じる、
「正の共感」。
正の共感は、難しいことのようだ。
上記の論文の中では、以下のような記載があった。
俗に「貧苦は共に出来ても、富貴は共に出来ない」という。
他者の幸福を自分の幸福とするのは他者の不幸を悲しむより難しいことかもしれない。
できることなら、自分が幸せだと感じていることで、他の人も幸せを感じてくれるような、そんなブログを書きたい。
「正の共感」を得られるような。
で、この日。
キクチさんが楽しそうに話をしているのを見て、なんか嬉しく思った。
キクチの饒舌を聞いていて、
「俺、やっぱ、この人と考え方が似ている気がするし。」
「俺、やっぱ、この人のこと好きだわ。」
思った。
好きな人の幸せは、自分を幸せにしてくれるんだろう。
それがたぶん、正の共感。
だって、無償の愛を感じている自分の子どもの幸せには、絶対的な幸せを感じられるから。
そして、大好きなパートナーの幸せも、同様だ。
好きでもない人の幸せには、嫌悪感が生まれたりすることもある。
正の共感を得るためには、まず、「この人のこと好き」と感じてくれていないとダメなのかもしれない。
だからなのかな。
正の共感を得られる人とは、サシでも居心地が良くて。
それは、
「類は友を呼ぶ」
ってことで。
自分がどんな人と仲良くしているかで、他者からの自分自身の評価も変わってくる。
ってこともあるだろう。
自分が好きだと感じている人は、
いや、自分が仲良くさせていただいている人は、
自分のどこかを映している鏡なのかもしれない。
長いこと仲良しでいられるのは、本当に共感し合えているってことで。
すごい貴重なことなんだろうな。
うーむ、難しい。
うん。
6時間、こんな難しい話していたわけじゃなく。
ぺらっぺらの話を永遠としていて。
キクチさんは、長年の親友の「カトウ」について、熱く語って下さったりして。
俺が話始めると、
「なんかつまんなくなりそうなんで、トイレ行っていいっすか?」
と、キクチさんは10回ほどトイレに行っていたりして。
「これ、飲んでいる量よりも、出している量の方が多いよね」って思ったり。
ずっと楽しい話ばっかりじゃなかったけども。
やっぱり、俺は、キクチヒロシが好きなんだなって思ったよ。
少しずつ、前へ。
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