先日のオンライン飲み会の一つのネタに、
「『女の隙』って何なんだ?」
という話題があったようだ。
「隙がある女性の方がモテる」とのことで、その「隙」っていうのが、一体何なのか?って話だ。
うむ。
確かに、完璧で、入る隙が全く無い人よりも、どこかに隙があるほうが、人として近づきやすそうだ。
で、ちょっと考えてみた。
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俺がある国の将軍だったとする。
ある隣の国は、海もあり、川もあり、米が多く取れる魅力的な地。
ただ、国境には高い壁が築き上げられ、侵入経路は絶たれており、兵の数は数十万との噂もあり、難攻不落の国と言われている。
一方、もう一つの隣国は、狭くて、作物も育たない不毛の地。
ただ、どこからでも侵入可能だし、兵の数も少なく、いつでも陥落させることができる。
前者は、モテるけど、隙が無い。
後者は、モテないけど、隙だらけ。
前者には攻め入りたいし、なんとかして手に入れたい。
後者は、攻める必要性がないし、正直どうでもいい。
おそらく、「女性の魅力」と「女性の隙」は、別の次元で語られる必要があるのだろう。
「女性の隙」とは、
「その女性をものにしたいときに、何とか落とすために、攻め入れそうなポイント」
なんだろう。
で、基本的に女性はみんな、「隙」があるんじゃないかなぁって思う。
酔っぱらったときに、思わせぶりなボディタッチをしたり。
いつも笑顔なのに、ちょっと寂しそうな雰囲気をかもしたり。
ちょっと胸が見せるような服を着たり。
特別感を出して、メッセージを送ったり。
「私、分かんないから」的に、質問してきたり。
なんてことない段差に気付かずに、コケたりして。
そんな感じの「隙」は、たぶん、多かれ少なかれ、どんな女性にもあるんじゃないかなぁ。
でも、そもそもそんなに自分が好きじゃない女性の「隙」には、全く気付かない。
ていうか、気にならない。
自分が気になっている女性のことは、いつも気にしているので、「隙」に気付く。
だから、
「隙がある女性 = モテる」
みたいなことになっちゃうのかなって。
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三国志は、諸葛孔明なしには、語れない。
三国志は、魏、呉、蜀の三つの国が群雄割拠していた西暦220年頃からの中国三国時代を描いた歴史書のことだ。
諸葛孔明は、蜀の劉備に遣えた天才軍師で。
数々の戦略を打ち出し、1800年経った今でも、その名を轟かせている。
諸葛孔明の戦略として、有名なものとして、
「空城の計」
「天下三分の計」
というものがある。
「空城の計」とは、Wikipediaには、以下のように記載がある。
野戦で魏に敗れた際、蜀軍は魏軍と比べて圧倒的に兵力が少なかった。
諸葛亮は一計を案じ、
城に引きこもって城内を掃き清め、城門を開け放ち、兵士たちを隠して、
自らは一人楼台に上って琴を奏でて魏軍を招き入れるかのような仕草をした。
魏の司馬懿は諸葛亮の奇策を恐れてあえて兵士に城内に踏み込ませなかったという。
このとき司馬懿は、20万の大軍で攻め入ってきていたと言う。
でも、司馬懿は攻め入らなかった。
隙だらけの城に、攻め入らなかったのだ。
これ、分かる。
小学生の頃、どんな男子とも仲良くしている女子がいた。
その女子は、「男ったらし」と陰口を叩かれていた。
あんまり女子の友達はいなかったけど、男子の友達はたくさんいた。
でも、俺は、なんかその女子を警戒しちゃって。
なんか、怖くて、近づきたくなかった。
隙だらけにすることで、攻めにくくする作戦。
「空城の計」
諸葛孔明。
さすがだ。
「天下三分の計」とは、
当時、強大な力を持っていた魏の曹操。
蜀の劉備は、勝ち目がなかった。
そこで、呉と手を組み、なんとか魏、呉、蜀の勢力の均衡が取れるようにし、3つの国で中国全土を治めようとしたのだ。
お互いがお互いを牽制せざるを得ないような状態に持ち込むことで、平定する。
これ、分かる。
ものすごい魅力的な女性がいたときに。
攻めたいけど、攻められないときに。
他にも2人、魅力的な女性を見つける。
そうすると、みんな魅力的だから、どこから攻めれば良いのか分からなくなる。
誰か一人を攻めようとしたときに、
「おいおい、自分。ほかの2人のことはどうするんだ?」
と心の声が聞こえてくるのだ。
3人の均衡を保つことで平定する。
「天下三分の計」
諸葛孔明。
さすがだ。
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ということで、どうでも良いエントリーがまた一つ完成した。
何はともあれ、その「隙」。
ワザと作っているのか、素なのか、それくらい見抜けるような男になりたいな。
「あ、それって、俺にしか見せてくれないやつだよね」
なんて感じられた時は、男は誰しも、喜びの絶頂に達するだろう。
少しずつ、前に。
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