授業が始まる1時間前に高校に到着し、体育館の2階にある、さび付いたトレーニング器具が置いてあるトレーニングルームに向かう。
冷房も暖房もなく、夏は激暑いし、冬は激寒い。
既に何人か集まっている野球部の面々と、談笑しながら筋トレをする。
2時間目くらいになるとお腹が空いてしまい、先生の目を盗んで早弁をする。
午後の授業では、体力を回復するために昼寝をする。
現代文や世界史の授業は、絶好のお昼寝タイムだった。
15時で授業が終わると、走って部室に行き、着替えてアップのランニングを始める。
ピッチャーだった俺は、部活の始まる前に5kmほど走っていた。
足腰を鍛えられると考え、片道10kmを自転車で通学していた。
家に帰ると、素振りをして、風呂上りにストレッチをした。
夏の大会では、エースピッチャーとしてマウンドに上がったものの、三塁への牽制球で暴投してしまい、それが決勝点となり、敗退。
しばらくは、立ち直れず、高校最後の夏休みは、虚無感しかなかった。
夏部には参加していたものの、3年生のチームメイトは、みんな抜け殻化していた。
その夏休み、国語の宿題で、夏目漱石の「それから」を読んで、ノートにまとめるというものがあったが、抜け殻になっていた俺は、その宿題に手を付けずにいた。
自分のクラスで、その宿題をやっていなかったのは、俺を含めた野球部の3人だけだった。
3人揃って、国語の通信簿が「1」だった。
弱小高校ではあったが、自分は野球をするために高校に通っていたと言っても過言ではなかった気がする。
そして、多くのことを野球から学んだ。
一人一人がそれぞれの役割をしっかりこなすことの大切さ。
誰かのミスをみんなでカバーする連携の大切さ。
意見がぶつかり合ったときに、どのようにまた皆の心を一つにするのか。
日々の努力が、上達には大切であること。
一方、努力が必ずしも報われるわけではない、という非条理。
勝利することの喜びと、負けることの悔しさ。
同じ目標に向かって努力する仲間。
*****
夏の大会。
弱小ではあったが、甲子園の舞台でプレーすることを少なからず夢見ていた。
大好きだった女子に、
「甲子園に連れていくから。」
とか、いつか言おうと思ったりしていた。
日々キツい練習を一緒にしてきたこのチームメンバーと一緒に、夏の大会でプレーして、勝ち星をあげたい。
でも、今年は、夏の大会の中止が決まった。
www3.nhk.or.jp
もし、自分が高校3年生だったとしたら、どう感じるのだろうか。
野球が好きで、甲子園の舞台を夢見て、ただひたすら毎日野球のことだけを考えて。
「どうやったら上達するのか」
を必死に考え、時にはライバルで、時には仲間であるチームのメンバーたちと切磋琢磨してきて。
ここまで努力してきた成果を確かめるための大きな晴れ舞台が、突如無くなってしまったとき。
自分だったら、どう感じ、何を考えるのだろうか。
想像がつかなさ過ぎて、、、
もし自分の子どもが、高校3年生だったとしたら、どう接すればいいのだろうか。
親として、何ができるのだろうか。
2019年現在、3年生の高校球児は、約5万人いるらしい。
部員数統計(硬式)|資料|公益財団法人日本高等学校野球連盟
大学野球を行っている学生は、3万人弱。1学年あたり、約7000人ほどのようだ。
(公財)全日本大学野球連盟
高校を最後に、競技としての野球から離れる高校球児は、全体の9割程度にもおよぶ。
夏の大会で、最後まで勝ち続けて終了するのは、優勝校の1校のみ。
その他の高校球児は、最後の試合は、敗退することで終了する。
高校球児の多くが、3年生の夏に、最後に敗退することで、何かを感じ、何かを学ぶ。
敗退することは辛いが、そのことが、人格形成に与える影響は、すさまじく大きいだろう。
社会人になるとこんな言葉をよく聞く。
「結果がすべてではない。そのプロセスこそ重要だ。」
もし、結果がうまくでなかったとしても、それまでのプロセスから学べることは多く、「次」に繋げられるということなんだと思う。
でも、高校3年生にとって、夏の大会は、人生に1度きりの大きな晴れ舞台だ。
残念ながら、「次」は、ない。
自分にとって「すべて」だと思っていたものが、突如なくなったとき。
かける言葉は、見つからない。
もし、自分がその状況だとして、どんな言葉をかけられても、その言葉は虚しく聞こえる気がする。
でも、言えることはあるかもしれない。
今は思いっきり泣こう。
そして、泣き終わったら、次の新しい人生の目標を見つけよう。
何か月、何年かかってもいいと思う。
新しい目標は、必ず人を強くしてくれると思う。
俺みたいな普通のおっさんが、何を言っても、薄っぺらくて、やっぱり、、、
やっぱり、かける言葉が見つからない。
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