「宏樹、お母さん、走ろうと思うから、一緒に走らない?」
休日の昼間に、母親から声をかけられた。
「え?走るの?いや、いいよ。いつも部活で走ってるし。」
高校で、野球部だった俺は、野球の練習の一環で、長距離もダッシュも毎日のように行っていた。
休みの日くらい、走りたくなかった。
いや、それ以上に、母親と一緒に走るなんて、恥ずかしすぎて嫌だった。
母親は、42歳前後の頃から、健康のために走るようになったのだ。
「昔は、長距離得意だったんだよ!」
と。
当時の俺は、「ただ走る」ということに、何の楽しさがあるのか、まったく理解不能だった。
走ることは、野球なり、サッカーなり、バスケなり、他のスポーツのトレーニングのための手段だと思っていた。
「走るのは、気持ちがいいんだよ。」
そう言う母親の気持ちが、良く分からなかった。
平日、部活から帰り、夜ご飯を食べて、しばらくすると、
「これから走るから、伴走してくれない?」
と母親。
夜の10時を過ぎている。
大人とはいえ、一人で走るのは少し危ないな、とか思ったのか、俺は、定期的に母親の伴走をするようになった。
自転車に乗って。
「ちょっと速過ぎる?」
「大丈夫。」
「あとどのくらい走るの?」
「あと20分くらい。」
そんなやり取りがあった記憶がある。
ある日曜日。
「今日、10kmの大会があるから、暇なら見に来てくれない?」
と母親。
あまり気乗りはしなかったが、大会を見に行った。
ゴールのある競技場内で、50分ほど待っていると、母親がゴールした。
タイムは、50分なにがしか。
当時は、そのタイムが速いのか遅いのか、さっぱり分からなかった。
戻ってきた母親の顔は、白い塩がういており、すごく気持ちよさそうにゴールしたことを喜んでいた。
なんか、いいな。
って思った。
その後、受験勉強が始まり、俺は、母親の伴走をすることが少なくなっていった。
*****
今なら分かる。
10kmを50分で走ること。
結構しっかり走っていたんだね。
今なら分かる。
走ること、それ自体の楽しさを。
俺が今、走っているのは、母の影響があるのかもしれない。
一つ後悔があるんだ。
なんで、当時、俺は、一緒に走らなかったんだろう。
一緒に走ったら、たぶん、母親は、すごく嬉しかったんだろうな。
うちの母は、もうゆうに60歳を越えている。
まだ、走れるのかなぁ。
一緒に走りたいな。
いつもありがとうございます!ポチっとお願いします!
にほんブログ村