「ネガティブ・ケイパビリティ」
という言葉をご存じだろうか。
俺はつい先日、初めて聞いた。
ブログの読者の方が、コメント欄に書いて下さり、さっそく調べ、本を購入し、読み終わったところだ。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
この本の著者であり、精神科医である「帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さん」の最近のWebの記事は、要点がまとまっていて、
「ネガティブ・ケイパビリティ」が何なのか、理解できると思う。
wired.jp
「ネガティブ・ケイパビリティ」は、その著書の中で、以下のように説明されている。
「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」
そして帚木さんは、「答えを求める必要がない状態なんだ」と理解することで、その問題に真摯に向き合うことができるようになると書いていた。
なるほど。
俺は、「ネガティブ・ケイパビリティ」という能力がすごく低かったのかもしれない。
そう感じた。
新型コロナウイルスの影響により、様々な課題が浮かび上がっている。
在宅勤務が長く続き、誰とも会っていないストレス。
子どもが学校に通えず、ずっと家にいるストレス。
家にいたいのに、どうしても仕事で出勤しなければいけないストレス。
3食ご飯を作り、作ったかと思ったら洗い物、と台所にずっといるストレス。
テレビをつければ、今日の感染者数を伝えるばかりのニュースにうんざりするストレス。
SNSでは、人の行動や政治判断を批判する内容の投稿ばかりで、元気がなくなる。
秋のマラソン大会までも中止することが決まってきている。
緊急事態宣言は、5月6日までだが、その後、以前のような日常を取り戻すことができるのだろうか。
この苦しい、非日常は、いつまで続くのだろうか。
答えが見つからない。
一市民としては、そんな不安やストレスを感じながらも、生きていく必要がある。
そんな状況に必要とされるのは、まさに、
「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」
なんじゃないかと思った。
「ネガティブ・ケイパビリティ」の起源は、19世紀の詩人ジョン・キーツが弟たちに残した手紙の中に書かれていた言葉だと言う。
ジョン・キーツは、父親を落馬事故で亡くし、母を結核で亡くし、自身も25歳と言う若さで亡くなった。
帚木さんの本の中で詳細が書かれているが、ジョン・キーツは、かなり苦しい人生を送っていたようだ。
苦しい人生を送っていたからこそ、そんな状況に耐える能力に気付いたのだろうと思った。
帚木さんは、その本の中で、このように書いていた。
「不確かさの中で事態や情況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力 ─ ─。 しかもこれが、対象の本質に深く迫る方法であり、相手が人間なら、相手を本当に思いやる共感に至る手立てだと、論文の著者は結論していました。」
自分が今までできていなかったことだ、と痛感した。
すぐに、問題は何なのか、解決方法は何なのかを求めるがあまり、早急に答えを出そうとして、本質を見失い、路頭に迷う。
そんなことを繰り返していたような気がした。
未知で未曽有の課題に対峙している今、答えを早急に求めず、耐え抜くことも必要なんだろう。
耐えることで、その先に、今まで以上の希望があるんだろう。
「ネガティブ・ケイパビリティ」
そんな考え方があることを知れたことだけでも、自分は少しだけ強くなれた気がした。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
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