3人娘の親父が走る。いつだって全力中年。

3人娘の親父がランニングを中心に、日々の出来事をそこはかとなく綴ります。

レンガ職人とモチベーション。

先日、こんな話を聞いた。

レンガ職人の話だ。
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ある旅人が街を歩いていると、レンガ職人に出会った。

「何をしているんですか?」と聞くと、


「あ、これ?見ればわかるだろ。レンガを積んでいるんだよ。」

「親方に言われて、毎日毎日、こき使われてるんだよ。」

と答えた。



しばらく歩くと、違うレンガ職人に出会った。

同じようにレンガを積み上げている。

「私は、レンガを積んで『壁』を作っているんだ。」

と。



またしばらく行くと、3人目のレンガ職人はこう言った。

「私はね、このレンガで、『大聖堂』を作っているんです。」

と。



さらに行くと、4人目のレンガ職人もレンガを積んでいて、

「俺は、『この街のコミュニティ』を作るためにレンガを積んでいるんだよ。」

と言った。




この話、もともとは、イソップ寓話にあるようで、それを少し脚色しているらしい。


「仕事に対する、取り組みの姿勢」

を語る場面で、引用される小噺だ。



より広義で、より上位概念の目的を持つことで、


今の取り組みに、強い目的意識を持って取り組めるようになる。


(レンガ以外の)他の手段を使ってでも、目的を達成する意欲が湧く。




まぁ、分かる。


そうだろうね。

って思う。




一方、自分は、こうも思った。



ひたすらに強い人は、

「レンガ積み自体に、最高の楽しみを感じられる人」

なんじゃないかって。



今、自分が積んでいるレンガが、一体、何になるのか、何の役に立つのかなんかはどうでもよくて。

ただひたすらに、「レンガを積む」という、その行為に最高の幸せを感じられる人。



レンガを効率的に積む方法を発見したり、

レンガの焼き加減でレンガの脆さが違うことに気付けたり、

レンガの間を埋めるセメントの塗り方を極められるのは、

レンガ積みがこの上なく好きな人なんだと思う。



より上位レイヤの目的を意識することは大事だ。



でも、今の取り組み自体に楽しさを感じられないならば、やっぱり、その取り組みは、どこかで破綻してしまう気がするんだ。




~~~~~




「走ること」が、生活の一部から消えてから、半年が経とうとしている。


今年の2月以降、みんなと一緒に走れなくなり、レースにも出たくなくなり、自分には、

「走る理由」

がなくなってしまった。


自分にとって、「走る理由」は、

「みんなと一緒に楽しく走るため」

だったんだろうな。


みんなと一緒に楽しく走れなくなったから、自分には、もうレンガを積む気力が湧かない。



レンガを積まなければ、レンガの壁なんかできないし、ましてや大聖堂や街のコミュニティなんか、できやしないんだ。




もし、今の自分の状態で、当選してしまったら、かすみがうらマラソンに申し訳ない。






バドミントンをやる理由は、沢山作っておこう。


今、これだけバドミントンを楽しめている気持ちを忘れずに。



レンガの話を聞いて、また変なこと思い出してしまったな。


もう、いやだよ。




さてと。
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