3人娘の親父が走る。いつだって全力中年。

3人娘の親父がランニングを中心に、日々の出来事をそこはかとなく綴ります。

「やればできるは、やってないのと一緒」

高校の時、友人との学校からの帰り道の中、期末テストの話になり、軽い気持ちで俺はこう言った。

「今回は点数悪かったけど、俺はやればできるから、大丈夫。」


軽い気持ちで、特に何も考えずに口から出てきた言葉に対して、その友人は、なかば怒りを交えて

「やればできる、って言葉、俺嫌いなんだよね。」

「やればできるって言ってるやつは、何もやってないのと一緒。」

「しっかりやって結果を出さないと、何も意味ないよ。」



まじか、こいつ。

軽い気持ちでの発言に対して、ここまで熱く指摘してくるなんて、どうかしてるぜ。

と、思いながら、確かに何もやっていなかった自分が、少し恥ずかしくもあった。



俺は、小学校お受験で、小中高一貫の付属小学校に入学した。

中学に進学する際、高校に進学する際に、内部入試があるが、普通の成績を取っていれば、進学が可能だ。

だが、中学から入学してきた外部生と、高校から入学してきた外部生は、関東トップレベルの超絶頭の良い連中たちだ。

小学校から高校まで内部入試で進学した生徒は、「スーパー内部生」と、その頭の悪さを揶揄される。



「やればできるって言葉が嫌い」と言った友人は、中学からの外部生だ。

筋肉がムキムキで、なおかつイケメン、もちろん頭も良いと言う、モテない訳がない男だ。

そのムキムキな友人は、高校で俺と同じ野球部だった。

俺はピッチャー。ムキムキはサード。

ムキムキな友人は、ピッチャーの俺よりも数段速い球を投げていた。

本当にストイックな男で、ムキムキな友人が指摘してくれた、あの言葉を、今でもしばしば思い出すことがある。



そのムキムキな友人の言葉、

「やればできるは、やってないのと一緒」

は、もちろんその通りなんだが、「やればできる」という気持ちは、成長するためには非常に大事ではないかと思う。


うちの次女と三女は、勝負事となると、最初から勝てるはずもないと諦める節があり、また負けることが怖いのか、勝負しようとしないことが多い。

「やってもできない」

と思っているようだ。



「やればできる」

俺は、何事に対してもそう考えられるように両親に育てられたと思っている。

若い頃に比べると、「できる」と思えることのレベルが、少しずつ下がってきており、現実的なレベルになっている気もするが。

ただ、「やればできる」という気持ちが、仕事で新しいことにチャレンジする際も、趣味のマラソンでも、俺が成長してきた原動力になっていると思っている。



「自分はやればできるはずだ」

そう信じて、まだ自分が見たことのない世界を見るために努力をする。

今の俺に必要なのは、まさに「自分はやればできるはずだ」の信念だ。

仕事で苦境に立たされ、7月22日のリレーマラソンではナイスランしなければならない。



「やればできる」と信じ

努力し

結果を残す

そのサイクルを身をもって見せることで、娘たちも「やればできる」の信念の大事さを体感して欲しいと思う。



で、ムキムキな友人の話だが、大学生の頃に、高校野球部の連中で集まって飲んだとき、自らコールをあおり、つまようじやナプキンの横に置いてあったキッコーマン醤油のビンの醤油を一気飲みしていた。

俺は思ったよ。

「お前もやればできるじゃん」



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