3人娘の親父が走る。いつだって全力中年。

3人娘の親父がランニングを中心に、日々の出来事をそこはかとなく綴ります。

「対人不安」と「リアルでは寡黙な人」。

俺は、

「ブログでは雄弁だが、リアルでは寡黙な人」

と称されたことがある。
www.all-out-running.com



ブログでは、色々な方をイジらせていただき、「いくぜっ!」みたいな感じで威勢の良いことを言ったりもしている。

一方、実物に会ってみると、案外普通だったりする。

「いくぜっ!」とか言わなさそうなキャラだ。


そのギャップが大きく感じるのだろう。


だって、飲み会の席で、ルービックキューブを6面揃えるまでやってしまうような男だし。
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「ブログでは雄弁だが、リアルでは寡黙な人」

が、そこそこの数いるのではないだろうか。

※キクチヒロシとか、トガーさんとか、俺とか。他にも思い当たるが。。。

そう、思った俺は、論文から何か得られるものがないか、調査をしてみた。


最も参考にさせて頂いたのは、以下の論文の第一節の部分だ。

"対人コミュニケーション状況における話者の不安と言語的表出との関連性"


リアルで寡黙になる理由

論文内では、「リアルでは寡黙」であることを、「日常的」だと言及している。

他者との関わりや他者の前での活動において,独特の不安や緊張感を感じることは,日常的に経験されることである。


こういった不安を感じることを、

「対人不安」

と呼ぶらしい。

対人不安”(social anxiety)をそれらとも重なりをもつ“他者の前で表現・活動するときに経験する不安(想像上のものを含む)であり,他者からの評価にたいする懸念によって強く影響されるもの”と規定する。

「他者からの評価にたいする懸念によって強く影響される」

という点は、非常に共感ができる。


初めてお会いした方には、

「自分を良く見せたいが、どう思われるのか不安」

と思っている気がする。

他者から否定的評価を受けることを意識しそれを恐れ,かつ人前での自己呈示におけるコントロールに自信が持てないことから,対人的なかかわりを回避する傾向が生じてくると考えられる。

他の人から「どう思われるのか不安」みたいな意識が、寡黙になってしまう理由なようだ。


変なことをしゃべって評価を落とすくらいならば、

「沈黙は金」

という感覚だ。


論文の最初の部分だけで、あまりの共感具合に、

「俺はこの論文を書いた人と仲良くなれるかもしれない」

と思った。

ブログという表現の場とコメントをすること

参考にさせて頂いた論文によると、自分を表現する場を、みんなが持ちたいと感じているということだ。

しかし,対人不安傾向の高い人(以下,高対人不安者と記す)のすべてが対人的かかわりをまったく避けているわけではなく,さまざまな形で他者とかかわりをもちながら社会生活を送っており,他者の前で自己表現をする機会・必要性を持っている。


「ブログ」

ブログという場は、「他者の前で自己表現をする機会」に相当しないだろうか。


俺は、リアルで自己表現をする機会が持ていないがあまり、

ブログという場で、自己表現をする機会を得ようとしていなかっただろうか。


社会人になると、周囲とのバランスを取るために、自己表現を控える場面が、誰しにもあるかと思う。


ブログにおける、書き手と読み手の関係は、読み手からしたら「1対1」だ。

ブログは、書き手に対して、読み手が何かしらのリアクションを取るには「コメントを記入する」ほかない。

「ブログにコメントをする」という行為も、そこそこ敷居が高い。


読み手からすると、「1対1」のコミュニケーションで、コメントをする必要はないし、どうしてもコメントしたくなったらコメントをすれば良い。


書き手からすると、自己表現を不特定の多数にできるが、

読み手からすると、自己表現は「コメント」という形で「1対1」ですることになる。


ここに「ブログにコメントする」ことの敷居の高さがあると思われる。


対人不安を抱えている人にとって、「ブログ」は、自己表現する場として、最適な手段の一つと言えるのではないだろうか。


対面のコミュニケーションとは違って、発言の力がより書き手に偏っており、より自由に自己表現が可能となる場になりえるから。

リアルで雄弁になるためには

では、どうしたら「対人不安を抱えている人」が「リアルで雄弁」になれるのだろうか。

「対人不安を抱えている」と、やはり寡黙になるらしい。

Leary(1983)は対人不安が高いことに伴う行動として非親和性をあげており,対人不安を感じているときには会話において話す割合が少ない・反応するのに時間がかかる・沈黙するなど,言語行動の減少がみられるとする。


リアルで雄弁になるためには、「対人不安を感じないようにすること」が必要だ。

すなわち、

「他者からの自分の評価が良い」と感じられるような環境が必要があると考えられる。


その手段の一つに、「ブログ」があると考えられる。


ブログは、書き手にとっては、自分自身を表現する場。

読み手にとっては、書き手のことを事前に知ることができる絶好のツール。


ブログを読むことにより、

その書き手が、

どのような場面でどのように感じているのか。

ある共通のイベントを体験した時に、どの一面を切り取って表現するのか。

それらは、自分の感性や価値観と合っているのか。

など、「その書き手から見て、自分がどのように評価されそうか」、が事前に分かる可能性がある。



ブロガーが、リアルで寡黙にならないためには、

ブログを事前に読んで、

「自分のことを良く評価してくれそうな人たちとお会いすること」

これにより、しっかりとブログ並みの雄弁なトークを繰り広げられるだろう。


※そう。
昨日のキクチヒロシは、
※「自分のことを良く分かってくれている人」達
※に囲まれていたことで、
※リアルでも雄弁に振る舞えたのだろう。


どんな人と対峙しても、自分を思いっきり表現できるような「いつでも雄弁な人」になりたいものだ。


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