5月25日。
首都圏を含めた日本全国で、緊急事態宣言が解除された。
新型コロナウイルスにより、日本を含めて世界が破壊的なダメージを被っている。
現時点で、日本では、
感染者数:約16,500人
死亡者数:825人
致死率:約5%
全世界では、
感染者数:約541万人
死亡者数:約34.5万人
致死率:約6.4%
未曽有のウイルスによる攻撃で、各国は、都市の封鎖、学校の休校、外出制限を長期間行い、各種イベントは軒並み中止。
人々は疲弊しきっている。
今後、この状況からどのように立ち直っていくのだろうか。
経済は回復するのだろうか。
外出制限が解除された後の、第二波の心配はないのだろうか。
スポーツやエンタメなどのイベントは、いつ再開されるのだろうか。
新型コロナウイルスとの戦いは、いつ終息するのだろうか。
そのすべてに見通しが立たない状況だと思うが、
「過去のパンデミック時のことを知れば、何かヒントが得られるかもしれない。」
と考え、約100年前に起きたパンデミックである、
「スペイン風邪」
について調べたことを、複数回に渡ってまとめてみたいと思う。
※全くの専門外なので、間違っている情報もあるかもしれませんが、なるべく信頼性の高い文献を参考にしています。
スペイン風邪とは?
スペイン風邪概要
スペイン風邪とは、1918年(大正7年)から1920年(大正9年)にかけて世界各国で多くの死者を出したパンデミックのことである。
「風邪」と称されているが、「インフルエンザウイルス」が原因である。
「スペイン」という冠がついているが、発症元は、アメリカのサウスカロライナ州だったと言われている。
そこから、アメリカの軍人が広めたと言われている。
1918年当時は、第1次世界大戦中であり、各国が情報統制を行っていたため、各国からの情報はほぼなかった。
そんな中、中立国であったスペインでは、大々的に報道されていたため、「スペイン」という冠がついたと言う。
スペイン風邪は、1918年から1920年にかけて、大きく3回の感染者増の波があったという。
その3回の波の影響により、
感染者数:約6億人
死亡者数:2000万人から5000万人
という多大なる被害を世界各国にもたらした。
当時の世界の人口は、約20億人と言われているので、全世界の約3割の人が感染したことになる。
日本での感染者数と死亡者数
日本では、1918年の夏に、台湾巡業にでかけた力士がなぞの風邪にかかったのが、最初だと考えられているようだ。
当時は、
「相撲風邪」
と称されていた。
日本での流行の波は、3回あったとされている。
感染力が高かった、第1回目。
致死率が高かった、第2回目。
季節性インフルエンザ並みになった、第3回目。
という特徴がある。
その3回の流行期の感染者数と死亡者数は、以下の通りだ。
※内務省衛生局編『流行性感冒』による統計数値
■第1回流行期
1918年8月-1919年7月
感染者数:2116万8398人
死亡者数:25万7363人
致死率:1.22%
■第2回流行期
1919年8月-1920年7月
感染者数:241万2097人
死亡者数:12万7666人
致死率:5.29%
■第3回流行期
1920年8月-1921年7月
感染者数:22万4178人
死亡者数:3698人
致死率:1.65%
■合計
感染者数:2380万4673人
死亡者数:38万8727人
致死率:1.63%
合計の死亡者数は、研究者によっては、45万人を超えていたという説もある。
1920年当時、日本の総人口は、約5600万人。
スペイン風邪は、およそ4割の日本人が感染し、現在猛威を振るっている新型コロナウイルス以上の破壊力で、日本を攻撃した。
致死率が高かった第2回流行期では、第1回目の流行期に感染しなくて、抗体ができていなかった人の感染が目立ったと言う。
また、スペイン風邪の特徴として大きいものは、
「20代から30代の若年層が多く亡くなった」
という事実だ。
東京都健康安全研究センターによる、内務省発行の「流行性感冒」を元にした分析がこちらだ。
www.tokyo-eiken.go.jp
なお、スペイン風邪により若年層が多くなくなった理由は、2010年代に発表された論文によると、
「1889年頃に猛威を振るった『ロシア風邪』の免疫を持っていなかった若者が多く亡くなったため」
ということだ。
natgeo.nikkeibp.co.jp
日本を含め、世界各国に多くのダメージを与えたスペイン風邪は、約3年の月日を経て、終息することになる。
その理由は、世界中の多くの人がスペイン風邪に晒されたことにより、「集団免疫」を獲得したためだとされている。
歴史的背景
第1次世界大戦
1914年にヨーロッパを中心として始まった第1次世界大戦。
1918年に終戦した理由の一つに、スペイン風邪があったと言う。
各国の軍人が、なぞの病気で次々に倒れ、各国の戦える兵士が減少したことが理由だと言う。
海外旅行など、一般の人にとっては、全く馴染みのないような時代。
ウイルスを広めたのは、戦争が原因だった。
戦争が原因でウイルスを広め、そのウイルスが理由で終戦を迎える。
日本は、イギリスとの同盟により、参戦をして、各所に兵士を送り込んでいたものの、積極的な参戦はしていなかった。
当時の日本の様子
1918年、大正7年。
第1次世界大戦の影響により、日本は空前絶後の戦争特需の好景気を迎えていた。
スペイン風邪の影響により、経済活動が一時的に中止になった影響は小さく、それ以上に戦争特需が大きく、戦争バブル期を迎えていた。
その当時、1920年代の貴重な映像を、イギリスの団体である「HuntleyFilmArchives」がYoutubeに公開している。
www.youtube.com
また、大正12年当時の鉄道網の古地図が公開されいる。
blog.goo.ne.jp
日本全国、幹線の鉄道網は配備されていたことが分かる。
なお、インフルエンザウイルスが発見されたのは、1933年だと言われている。
スペイン風邪が流行した当時の1918年から1920年は、何が原因で、病気になるのか、まったく分かっていなかったのだ。
1923年関東大震災
1923年9月1日。
関東南部を震源とした、大震災が起きた。
関東大震災だ。
関東大震災による死者は、約10万人。
この頃、戦争後の不況下にあえぐ日本に、更なるダメージを与えた。
スペイン風邪による死者は、40万人程度。
関東大震災による死者は、10万人程度。
ただ、俺が学生の頃、日本の教科書には、関東大震災の記述はあったが、スペイン風邪の記述はなかった。
戦争後の不況。
関東大震災での更なる追い打ち。
そして、1929年から始まる世界大恐慌。
これらの長期の不況により、人々の記憶から「スペイン風邪」が消えていった。
新聞から分かるスペイン風邪当時の様子
1918年11月3日の福岡日日新聞では、以下のような紙面だった。
※西日本新聞の記事より
福岡市内外各学校続々襲おそわる/魔の如ごとく蔓まん延えんする悪性感冒/郵便も電報も配達に大影響 福岡郵便局の患者続出/電車運転減数/炭鉱も休業
1918年11月は、第1回流行期のピークを迎えている頃だ。
この頃、政府による外出自粛などの規制は行われていなかったようだが、感染者が多く、休校になる学校が続出。
※ただし、休校の期間は、1週間から2週間程度だったようだ。
さらには、郵便や鉄道や炭鉱など、感染者の増加に伴い、営業に大きな影響を与えていたことが分かる。
また、1920年1月18日付の九州日報の紙面がこちらだ。
※西日本新聞の記事より
1920年1月に第2回流行期のピークを迎え、医療崩壊が起きていたことが分かる。
こちらは、1920年の土陽新聞と高知新聞の紙面だ。
※高知新聞の記事より
マスクを多くの人が付けていること。
マスクしなければ、劇場や電車への入場が断られたこと。
など、マスクが感染予防として定着していたことが分かる。
休校、廃業、医療崩壊、マスク問題。
基本的には、スペイン風邪から100年たった今も、同じことを繰り返している。
スペイン風邪での感染予防対策
日本における、スペイン風邪流行期の感染予防対策については、内務省発行の「流行性感冒」のP.131に記載がある。
1.近寄るなー咳をする人に
2.鼻口を覆えー他の為にも/身のためにも
3.予防注射をー転ばぬ先に
4.うがいをせよー朝な夕なに
ソーシャルディスタンス、マスク、予防注射、うがい。
当時の対策は、今とほぼ変わらない。
ただし、当時は、インフルエンザウイルスが発見されていなかったため、予防注射は、医学的にほぼ効果がなかったと思われる。
また、当時は「手洗い」については、対策として流布されていなかったようだ。
日本人の「手洗い」文化は、第2次世界大戦後、学校給食が普及するとともに、学校を起点として広まったとされている。
「手洗い」は、感染予防として、かなり効果が高いと考えられるので、しっかり行った方が良いと思う。
当時、政府は、感染予防のために、ポスターを作製したとされる。
そのポスターでは、とくに「マスク」と「うがい」と「感染者の隔離」が強調されていることが分かる。
※「流行性感冒」内務省衛生局著より
日本人のマスクをする文化は、このスペイン風邪当時に広まったとされている。
※マスクをする女性たち:Wikipediaより
スペイン風邪が流行した100年も前。
何が原因の病気か分かっていなかった。
ただ、基本的には、100年たった今も、対策の内容は、ほぼ一緒だ。
新型コロナウイルスに対する、ワクチンがなく、特効薬がない、今。
予防としてやれることは、100年前と何も変わらないということだ。
まとめ
100年前のパンデミック、「スペイン風邪」。
その当時のことは、あまり記録として残っていないようだ。
その中でも、非常に貴重な資料は、当時内政を司っていた内務省の書籍。
「流行性感冒」 内務省衛生局著 (1922.3)
ただし、こちらは、ひらがなではなく、カタカナで書かれているため、めちゃくちゃ読みにくい。
また、こちらの論文は、スペイン風邪の概要を知るには持ってこいのものだ。
"公衆衛生からみたインフルエンザ対策と社会防衛―19世紀末から21世紀初頭にかけてのわが国の経験より―"
今回は、スペイン風邪の概要と、当時の様子、予防対策についてまとめてみた。
そこで分かったことは、
「100年経った今でも、未知のウイルスに対する対策は、何も変わらない」
ということだ。
様々な技術が発展し、生活が豊かになった現代。
でも、未知のウイルスに対しての初動の対策は、変わらないのだ。
スペイン風邪の終息は、集団免疫を獲得したことによる自然消滅。
新型コロナウイルスの終息は、どのように迎えるのだろうか。
集団免疫を獲得するには、現時点では少なすぎる感染者数。
ワクチンの完成には、そこそこ時間がかかると思われる。
インドネシアなど高温で多湿の国でも増えている感染者数。
緊急事態宣言が解除されたとは言っても、ワクチンや特効薬などの根本的な対策ができていない、今。
自分や家族の身を案じるのであれば、予防のためのできる限りの対策はしっかり行っていくとよいと思う。
これだけ長いこと書いたにも関わらず、自分の身を守るための有益な情報がなくて、すいません。。。
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