だいぶ前に、トレイルランニングのイベントに参加した時の話だ。
同じ会社の後輩君と一緒に、そんなイベントに参加してみた。
その頃、会社の同僚と、仕事終わりに勤務地周辺を走ったりしていた。
だが、ちょっと物足りなくなってきて、ランニング仲間を外に求めていたのだ。
できれば、可愛らしいランニング女子と仲良くなりたいな、なんて思ったりしていた。
イベントの集合場所に到着するまでは、後輩君と一緒にかなりドキドキしていたのだが、その会場に到着した瞬間に、察した。
「あ、俺ら、妄想しすぎたね」
と。
*****
いや、俺が書きたいことはそんなことではなくって。
そのトレイルランのイベント。
集合場所は、山への入り口がすぐ横にある市役所で。
週末ゆえに、市役所は開いておらず。
ランの道中もトイレが一個もなく。
その道中、俺は、最高潮におしっこを漏らしそうになっていた。
イベントのコースの途中で、川遊びがあったのだが、その川遊びの時間がそこそこ長くて。
俺の膀胱は、表面張力の限界を超える勢いにあった。
「こ、これは、イベントが終わってから、最寄り駅のトイレまで間に合わんぞ」
「こ、ここで、俺はおしっこできる場所を探さざるを得ないぞ」
「でも、野外でおしっこをするわけにはいかない」
したい。
でも、するわけにいかない。
その往復運動を繰り返すこと10分ほど。
俺は、無言で茂みの奥に行き、用をたした。
その解放感たるや。
その幸福感たるや。
何事にも代えがたい、最高の至福だった。
してはいけないことをしているという、スリルも味わいながら。
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ベッキーとゲスの極み乙女。
東出。
瀬戸大也。
渡部。
世間をにぎわせた、名だたる有名人たち。
正直、どうでもいい。
思うことがあったり、考えることもあるが、正直、どうでもいい。
自分にとっては、あまりにも関係がないから。
こんな人たちを強烈に批判する人たちって、
「自分も本当はそんなことしたいな」
って思っている人たちなんじゃないかなぁと思う。
「でも、自分はしないけどね」
って思っている人たちなんじゃないかなって。
コロナで外出自粛が続いていた頃。
お出かけしている人を強烈に批判していた人たちって、
「自分もでかけたいな」
「でも、自分はでかけないけどね」
って思っていた人たちなんじゃないかなって。
自分もそうしたい。
自分もそうなりたい。
でも、自分はやらないし、自分はできない。
そんな人は、それをやっている人を批判したくなるんじゃないだろうか。
「そう考えること」
と、
「それをやること」
そこには大きな差があるのかもしれない。
でも、頭をよぎった時点で、それは煩悩で。
仏教的には、やろうがやるまいが、同じことのようにも思える。
ここまでは、「やってしまったら一般的には悪」なことを例にしたが、
「やることが正」なことも同じで。
「自分もあんな感じでみんなと一緒に楽しくなりたいな」
って思っても、
「自分にはできない」
って人は、楽しくなっている人を批判したくなるのだろう。
「自分もお金持ちになりたい」
「自分もあの人のように素敵な人になりたい」
「自分も速く走りたい」
「自分も幸せになりたい」
でも、なれない。
でも、できない。
そんなときに、葛藤、嫉妬、執着。
そんな負の感情が湧き出てくる。
でも思うんです。
自分がやりたいと思ってもできていない、そんな世界に到達しているようなそんな人は、
自分が知らない世界を知っている人で。
そんな人と一緒にお酒を飲みに行って、そんな自分の知らない世界について、話を聞いてみたいし。
三軒目くらいに、自分のダークな部分を吐露してみたいな。
って。
たぶん、そこには、自分が知らない、新しい世界があって。
一度しかない人生を、より楽しく感じさせてくれる、何かがあるんじゃないかなって。
あ、俺が、トレイルでおしっこしてしまった話。
いつでもお話ししますよ!
少しずつ、前に。
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