桜子は中学生になってからスマホを持つようになった。
今では、暇さえあれば、イヤホンをしてスマホの画面にかじりついている。
朝起きてからも、ベッドからしばらく出てこないのは、スマホをいじっているからだ。
ついつい言ってしまう。
「スマホを触っている暇があったら、勉強しなさい。」
言った後に思う。
「俺もな。」
1999年。
大学3年生のときに、バイトを始めるとともに、携帯電話を持つようになった。
電波が悪いとなると、ケータイを高く上げて、電波を探したりしたもんだ。
「怪盗ロワイヤル」とかいうゲームにハマり、ケータイの電池が一気にもたなくなった。
2010年。
Androidのスマートフォンを持ち始めた。
いつでも手元にインターネットがある感覚。
いつでもググれ、いつでも友達と繋がっている感覚。
あれから10年が経ち、今では、スマホを触らない日はない。
大学2年生までは、ケータイもスマホもない時代を、何の不自由も感じずに過ごしてきていた。
そのはずなのに。
今となっては、
「明日からスマホなしね。」
なんて言われたら、どう過ごせば良いのか。
路頭に迷ってしまうくらいに、スマホに依存している気がする。
人は、一度手に入れた幸せを、最初のうちは幸せと認識していて。
それが当たり前になってくると、その幸せを感じなくなり、当たり前を失うことの恐ろしさに気付かなくなる。
~~~~~
今でも、ときおり思い出す風景がある。
今年の3月。
楓子が小脳炎で入院している週末。
桜子と璃子を両親に預けていて、朝ご飯を、奥さんと2人で食べている食卓の風景だ。
楓子がもしかしたら。。。
そう思うと、涙が出てきて止まらなくて。
太陽も昇り、部屋の電気は付いているはずなのに、真っ暗な中にいるような。
炊き立ての甘いご飯を食べているのに、無味で、なんなら涙の味がした。
当たり前が、なくなった時間。
誰にでもある本当の当たり前が、なくなった時間。
~~~~~
この夏ころ。
この世界には神様はいないのかもしれない。
いや、人情なんてないのかもしれない。
そう感じて、走ることもブログも一切やめてしまおうと思った。
もともと、ランニングもしてなかったし、ブログも書いていなくても、楽しく幸せに過ごしていたし。
でも、できなかった。
ブログを書いて、みんなと一緒に走っていた、これまでの当たり前が自分の中で当たり前すぎて、それを全部失うことの怖さが勝った。
でも、
今、自分が見たくない情報を発信するブログの読者登録は片っ端からやめて、ツイッターも見なくなって。
やっと、新しい自分の中の当たり前の生活をできるようになってきた。
豚まんの揚子江さんが、自分の心の叫びを綴るブログを新たに始めるらしい。
全部全部書いてやりたいさって思うこともあるよね。
楽しいことも辛いことも、その全部を。
ここ最近、やっとまた。
以前のような、生活が戻ってきた気がする。
10の幸せを知ると、7の幸せでは満足できなくなることもあるかもしれない。
でも実は、幸せは1つでもあれば、それでいいんだよね。
だから今日も、試験勉強の最中に、
「パパ、今日、バドミントンできる?」
って言ってくれた桜子と一緒に。
少しずつ、前へ。
にほんブログ村