3人娘の親父が走る。いつだって全力中年。

3人娘の親父がランニングを中心に、日々の出来事をそこはかとなく綴ります。

「まじヤバい。」の意味と言葉で表現すること。

「パパの髪型、まじでヤバいんだけど!」

奥さんにバリカンで髪の毛をカットしてもらった翌朝、長女に会うと、そう言われた。


確かに、ちょっと切り過ぎた感はあって、自分でも、

「高倉健らしさ」

がにじみ出ていると感じていたので、正直ショックを受けた。




先日、ふるさと納税で届いた熊本県の豚肉でしゃぶしゃぶをした。

その時、長女は、

「うまっ!この肉、まじでヤバいんだけど!」

と。




この週末、三女の璃子と長女がiPadのことで、言い合いをしていた。

「スマホの充電がまじでヤバいから、iPad使わせてよ!」

と、長女。



どうやら、この、

「まじでヤバい」

には、様々な意味が含まれているようだ。



時には、

(髪型が)変だ、おかしい。


時には、

(豚肉が)美味しい。


時には、

(充電が)少ない。



このまま、良い状態も悪い状態も、何かの状態や感情を表現する言葉はすべて、

「まじでヤバい。」

に統一されてしまうのではないかと言う、世紀末感。



~~~~~



「もったいない」

という言葉は日本語にしか存在しない、なんて話が、10数年ほど前に話題になった。


このシューズは、まだ履けるから、捨てるなんてもったいない。


あなたの気持ちは、私なんかにはもったいない。


モノや気持ちを大事にする、日本文化があったからこそ、その気持ちに記号としての言葉があてられたのだろう。


他の言語に「もったいない」を表現する言葉が存在しないのは、そもそも、そんな気持ちを持つことがなかったから、表現する必要がなかったからだろう。




島国である日本は、他の言語の影響を受けにくく、独自の進化を遂げたと言われている。


ドキドキ、ワクワク、ギザギザ、ザーザー、テカテカ、ピカピカ、ゴリゴリ、ちょめちょめ、などのオノマトペが多いと言うことも有名な話だ。

※「ちょめちょめ」は、オノマトペではないだろうな。


日本人は元来、ある状態を音で表現するという、遊び心をもった人種なのかもしれない。




日本語の特徴として、一人称を表す言葉が多いこともあげられる。

私、僕、俺、わし、うち、我、吾輩、小職、それがし、当方、拙者、、、


まだまだ出てきそうだ。


でも、英語では、「I(アイ)」のみ。

※もしかしたら自分が知らないだけで、もっとあるのかも。


日本人は、自分を表現する際に、相手との立ち位置を意識し、自分を表す言葉を選ぶのだ。


「僕は、、、」

「うちねぇ、、、」

「我は、、、」

「拙者は、、、」

その主語があるだけで、その場で会話をしているであろう相手との関係性が透けて見えてくる。




言葉と言う記号は、自分の考えや感じたこと、モノなどを表現するために、作られたものだ。


その感覚に至らなかったり、そのモノが存在しなければ、そこに記号を付与する意味がない。

それを表現する必要がないから。



長女が連発する、

「まじでヤバい。」

には、すごい勢いと恐ろしさを感じる。


世の中みんな、

「まじでヤバい。」

で、すべての会話が通じてしまう恐ろしさだ。




「うおおおおおーーー!!!」

「なになになに?」

このブログ、まじでヤバいんだけどっ!!」

「え?これ?キィィィィーーー!!」

「ヤバいヤバいヤバい!まじでヤバいよ!」

「あはははははは!!!!!」


希薄な表現で、すべてが伝わってしまったかのような錯覚を起こしてしまう、そんな恐ろしさ。





その表現で、心の琴線に触れられるような。

デジタルなフォントでありながらも、そこに筆者の心の端々が、文字からにじみ出ているような。

言葉たちが楽しくて踊り出しているかのような。


そんな感覚を得られるようなブログを読みたいし、書きたい。



ブログを書くことを続けてきて、

「言葉で表現する」

ということに、何かしらの意味を持たせようとしている今。


日本語元来の趣というか、奥ゆかしさを大事に、言葉を大事に使いたいなぁと感じた。




で、ここ半年以上感じている自分の気持ちを表現できる言葉がないのか、ずーっと考えていたのだが、やっと見つかった。



「臥薪嘗胆」

これだな。




少しずつ、前へ。
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