「あの人、なんか浮いているよね。」
みたいな会話、ありますよね。
最近ね、
「俺、浮いてないか?」
って、ものすごく心配になって、心穏やかではない状態がしばらく続いていたんすよね。
「浮ている人」
と聞くと一般的には、
「周囲になじめない変わり者」
「何やってるんだか分からない人」
「何を言いたいんだこの人は?的な人」
と言った感じで、あまり良い印象ではないんじゃないだろうか。
でも、自分は、
そんな「浮いている人」のことが、結構好きなんじゃないかな。
なんて思ったりした。
いやね。
仕事での会話でもプライベートでの会話でもいいんだけど、
「この人、面白い!」
って感じる人は、
「自分が予想できないような切り返しをする人」
だなぁと思っていて。
自分の予想の範疇を超えた返しに出会えた日には、ドーパミンが出まくりっすよ。
「たぶん、こうだよね」
の自分の予想通りのことしか起こらなかったら、それは、
「飽き」
につながる。
ドーパミンは、人類の進化において、非常に重要な役割を果たしてきており。
ドーパミンがあるからこそ、人間は退屈を嫌い、飽くなき欲求のもと、進化し、英知を勝ち取ってきた。
だからなのかは、分からないけど、
自分は、
「浮いている人」
と対峙するときに、ドーパミンが出まくっている気がする。
※ドーパミンについて、詳しく書かれている名著
※「もっと! : 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学」
※まじで面白いっすよ
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日本人は、「自分が浮いていないか?」ということを気にしやすい、とか言う人がいる。
ここは、文化人類学的に、かなり奥深くて興味深い話題なんだけど。
自分の薄っぺらい理解を並べてみる。
日本は元来、「部落」という小さいコミュニティ単位で生活をしていて、その部落を維持存続させるために、集団で行動する必要があって。
集団行動をしないような人は、「村八分」という仲間外れにされたりした。
仲間外れになったら死んでしまうかもしれない。
だから集団の一員として、目立たないように過ごす。
また、戦時中は、「赤紙」が来た人は、必ずと言っていいほど、交戦地に旅立っていった。
「お前だけ戦争に行かないとは、何事か」
と家族も含めて、生きにくくなってしまうから。
当時の教育も、「集団主義」を刷り込んでいた。
周囲と歩調を合わせないと、生きにくくなる、のだ。
また、ルーズ・ベネディクト氏は、「菊と刀」の中で、
日本は「恥の文化」であり、極度に失敗を恐れる文化がある
と述べている。
周囲と違う特殊なことをやるのは失敗であり、恥である。
恥を嫌う日本人は、周囲と歩調を合わせる。
この「菊と刀」は、戦後間もなく、アメリカが日本を速やかに統治するために、文化人類学者であるルーズ・ベネディクト氏が当時の日本を分析したものがまとまった書籍だ。
かなり日本人の特徴を如実に浮かび上がらせている、名著だ。
さらに、この本を書くにあたって、ベネディクト氏は日本には訪れたことがなかった、と言うんだかから、まじでビビる。
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「俺、浮いてないか?」
そんなことを強烈に感じ始めた。
来年度からPTA会長をやることになり。
新旧PTA本部役員のグループLINEができあがり。
自分が入りたいと思った「個人情報漏えいの補償」に関する保険があって。
PTA会長として、「やらなければ」という気負いがあって。
まだ、新PTA本部役員が「右も左も分かりません状態」の最中なのに。
すげー勢いで、色々メッセージを送って、学校にも行ったり、書類を作ったりして。
メッセージの返答は、ほぼ旧PTA本部役員のみなさんで。
新PTA本部役員の方からは、ぽつぽつレベルのメッセージしかなくて。
「やべぇ。みなさん、ちょっと引いてしまってないかな。」
「ひょっとして、俺、浮いてる?」
と感じて、ちょっと苦しかった。
そうか。
俺も典型的な日本人の文化を継承しているのだな、
なんて思ったり、、、
で、数日間、もやもやが続いていて。
親じバンドメンバーのグループLINEに、
「PTAは、親じ会とは全然違う感じがするよ。」
「俺、若干浮いている。。。」
と送った。
すると、「下町ロケットおやじ」は、こう言ってくれた。
「浮いているのはしかたない。」
「君と言う人柄の宿命だ。」
「むしろ浮いてないと困る。」
「集団の中で浮くって、やろうとしたら、とてつもなく難しいことだよ。」
「浮き続けることは、もっと難しい。」
と。
かなり、心が穏やかになった。
浮いている人。
マジでヤバい浮き方もあるんだろう。
浮き方を間違えると、痛い目に合うこともあるんだろう。
でも、やっぱり俺は。
ドーパミンがドバドバ出まくるような、「浮いている人」でい続けよう。
さてと。
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