「子どもと大人の境目は、どこなんだろうか。」
ふと、そんなことを思ったできごとがあった。
両親から「ダメ」と言われてた、21時に始まる「とんねるず」の番組を見ることが許されるようになった時。
大人への階段を上り始めたと思えた。
中学生になって、下の毛が生えてきた時。
それがモジャモジャになってきた時。
なんとなく大人の仲間入りをしたような気がした。
高校生になって、エッチなビデオを見た時。
「これが大人の世界か」なんて感じた。
大学生になり、悪友に誘われ、授業をサボってパチンコ屋に行き、タバコを吸った時。
新たな世界に首を突っ込んだ気がして、「確実に大人になった」なんて勘違いをしたりした。
娘が生まれて、娘から「パパ」と呼ばれた時。
大人としての自覚が生まれたような気がした。
何か明確な境目があるようで、グラデーションのように変わっていくようでもある。
でも。
43歳になった今も、自分は、
「大人の形をした子ども」
なんじゃないだろうか、なんてことを思った。
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娘たちの春休みに合わせて、家族みんなで旅行に行くことになっていた。
14時過ぎに出発予定ということで、在宅で朝6時過ぎから仕事を始めるものの、年度末のバタバタで、全く仕事が片付かない。
昼飯は、5分でレトルトカレーを飲み干し、14時過ぎまで集中力MAXで仕事をする。
出発前に、スーパーヘビー級の仕事のメールを読んでしまい、熱海に向けて車を運転しながらも、ずーっと仕事のことが気になっている感じだった。
今回宿泊したのは、温泉が付いているホテルだった。
子どもの頃。
自分の父親は、猛烈に仕事が忙しく、平日に顔を見て話をすることなんてできなかった。
土曜日も仕事に行っていたし、日曜日も昼過ぎまで寝ている。
なので、欲しいもののオネダリは、母親にしていたのだが、
「ジャイアントコーン食べたいな」
なんてオネダリをしても、
「もったいないでしょ。パッキンアイスが家にあるじゃない。」
と、軽く一蹴されてばかりだった。
ただ、数年に1度程度の頻度だったが、家族で旅行に行ったときには、父が、アイスやらなんやら、買ってくれた。
特に楽しみだったのは、父と弟と一緒に温泉に入ったあとに買ってもらえる「コーヒー牛乳」だった。
数年に1度の頻度で味わうあのあまーいコーヒー牛乳。
温泉で温まった体で脱衣所に行き、
「パパ、これ飲みたい!」
なんていうと、父は、
「おうおう、ちょっと待てよ。」
と小銭を渡してくれて。
自動販売機にチャリ銭を入れて、ガラガラと音を立てながら出てくる、瓶のコーヒー。
紙のキャップを開けて、瓶に入ったコーヒーを一気飲みする。
フルチンで。
あの瞬間が、大好きだった。
今でも、懐かしく爽やかでノスタルジックな雰囲気の画が思い出される。
自分に子どもができたら、子どもと一緒にコーヒー牛乳を飲みたい。
そう思っていたのだが。
うちの子どもは3人とも娘で。
俺と一緒に男湯に娘が入ってくれたのは、娘が3歳くらいまでで。
娘たちと一緒に、あのコーヒー牛乳を飲むという夢は、実現が難しい状況なのだ。
奥さんと娘3人は女湯へ。
俺は一人、男湯へ。
いつも俺の方が早くあがってきて、ホテルの部屋に戻って20分ほどは一人でボーっとすることになる。
で、この日。
奥さんと長女がお風呂に先に行ってしまい、準備が遅くなった次女と三女が、少し遅れてお風呂に向かおうとしていたとき。
娘たちにも、あのコーヒー牛乳の感動を味わってもらいたくて。
「楓子。これ、持っていきな。」
と、1000円札を持たせた。
「お風呂あがったら、好きな飲み物、買っていいからな。」
と。
親として、なんかしてやりたい、そんな気持ち。
俺も風呂に向かい、サッと入って、サッと帰ってくる。
しばらくすると、奥さんと娘たちも戻ってくる。
楓子と璃子は、
「パパ、これ買ってきたよ!」
と、それぞれが飲みたかったジュースを見せてくれた。
「はい。おつり。」
おつりは、760円。
あれ?
2本分しか買ってないじゃないか。
「桜子は何も買わなかったの?」
桜子は、4月から中学3年生になる。
「うん。水でいいから。」
え?
中学生って、そんなんだっけ?
ジュース買ってもいいって言ってるのに、水道水飲んじゃう感じなんだっけ?
中学生くらいでも、
「やったー!ジュース飲めるぜ!」
なんて感じで、喜んで自動販売機にチャリ銭を突っ込んで、ワクワクしながら、ボタンを押すんじゃないんだっけ?
これは、親に対する遠慮なのだろうか。
それとも、ダイエットのために糖分を控えているのだろうか。
いや、ただただ飲みたいものがなかっただけなのだろうか。
これは、「桜子が大人になった」ということなのだろうか。
何にしても、父親として、何となく期待を裏切られたような、ほんのり寂しい気持ちになった。
たまにしかできない旅行という特別イベントくらいならば、なおさら。
中学生でも、まだまだ、
「うぇーいっ!」
ってしてもいいじゃないか。
「ジュース買ってもらえる!やったね!」
って。
翌日、熱海のビーチの一角にあった潮だまりで、子どもたちと一緒に遊んだ。
その潮だまりには、数センチくらいの小魚がたくさん泳いでいて。
持っていた小さな網で、小魚を捕まえようと、必死になったのだ。
無邪気に楽しんだのだ。
43歳になった、大人の俺も一緒に。
こんなとき、大人ならば、
「海水でベタベタになっちゃうから。」
とか、
「服が濡れちゃうから。」
「砂が脚に着いちゃうから。」
とかで、海の中に入らないで、離れたところから、そっと見守るのかもしれない。
俺は、まだまだ子どもなんだろう。
大人の形をした、子どもなんだよね。
子どもと大人。
境目はどこにあるんだろうか。
外見は成長し、老けるかもしれない。
中身も、変化していっているんだろう。
でも、子どものころから、ずっと変わらない「ひととなり」というものもある気がする。
そんな「ひととなり」が、その境目を不明瞭にしている気がする。
ただ、今回、一つ分かったことがある。
親にとって、自分の子どもは、いつまで経っても、自分の子どもであり。
子どもがいくつになろうとも、どこかで「甘えてきて欲しい」「わがままを言って欲しい」と思っているということ。
少なくとも自分は、そう思った。
桜子よ。
次回は、ジュース買ってくれよ。
そして、自分の両親が俺に、コーヒー牛乳のためのチャリ銭を渡してこようとしたときには、
「あぁ、お金持ってるから大丈夫。」
と断るんじゃなくて。
「ありがとう!コーヒー牛乳、めちゃくちゃ飲みたかったんだよね!」
と、素直にもらっておこう。
って思った。
さてと。
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