「あんま、泣かせないで下さい。」
と、涙を流しながら、笑顔で答えていた大迫傑選手。
東京マラソン2020の男子マラソンで、6位入賞し、自身のマラソンランナーとしてのラストランを終えた後のインタビューだ。
大迫傑選手。
日本陸上界の異端児。
走ること以外でも「1」を目指して生きてきた東京都出身の大迫傑選手は、
陸上の強豪の長野は佐久長聖高校に進学し。
大学では、箱根の古豪である早稲田大学に進学し。
大学時代も、箱根駅伝よりもトラックでの記録更新を主眼に置いて練習を積み。
大学卒業後は、日清食品グループに身を置くもたったの1年で。
ナイキ・オレゴンプロジェクトに所属することになり。
ナイキ・オレゴンプロジェクトが解散してしまう不運に見舞われながらも。
コーチのピート・ジュリアンとの二人三脚は続け。
ボストンマラソン、シカゴマラソンで、好成績を収め。
昨年の東京マラソンで「こんちくしょー!」と雄たけびを上げてゴールし。
2時間5分29秒の日本新記録を叩き出し。
東京オリンピックの切符を自ら掴み取り。
「これからの大迫選手が楽しみだ。」
と誰もが思っている中。
「陸上選手、マラソンランナーとしてのゴールを8月8日に決めました。」
と。
「え??」
って思った。
大迫選手のこの動画を見ていただきたい。
youtu.be
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2021年8月8日の朝7時スタートした東京オリンピック男子マラソンは、9時過ぎにゴールを迎えた。
おかげで、バドミントンサークルに行く準備が遅れた。
大迫選手の走りがカッコよすぎて。
大迫選手のインタビューが、感慨深くて。
テレビの前から離れられなかった。
大迫傑選手は、なんでこんなに俺を魅了してくれるんだろう。
「ほんと、この人すごいな」
との、月並みな感想を持った理由は、2つある。
まず、こちらが、
優勝したキプチョゲ選手、
銀メダルのナゲーエ選手、
6位の大迫選手、
のグロスとラップタイム。
30kmを過ぎたところで、キプチョゲが仕掛けて。
2位以下が付いていけず。
2位集団ができた。
大迫選手は、8位まで後退した。
そこから、大迫選手は、驚異の追い上げを見せてくれた。
集団からこぼれた選手を一人、また一人と拾っていき、6位まで順位を上げたのだ。
このとき、多くの人が、
「大迫、メダル、いけるんじゃないか!?」
と思ったのではないだろうか。
俺は、思った人の1人だ。
2位集団と最大20秒ちょっと付いていた差が、徐々に徐々に、15秒程度まで縮まり。
「最後、スパートかければいける!」
「これが最後のレースなんだから、振り絞れる!」
って。
でも、追い上げもここまでで、最後は、5位と25秒差で6位,
3位とは、43秒差だった。
大迫選手のゴール後のインタビューでは、
「いや、もう、最後、ほんとにキツくて。
6番に上がったところで、ちょっと前を追ってみたんですけど、
15秒くらいかな、
ギャップが縮まらなかったので、
確実にもう、6番で粘り切ろうと思って、走り切りました。」
と。
「1つ1つ、自分の対応できる範囲で、体と相談しながら、走ってきました。」
と。
自ら最後のレースと決め、気負いもあるんじゃないかと思われる中で、非常に冷静沈着な対応。
「マラソンは、レースを走る前に9割方決まっている。」
なんて言われるけど、まさに、それ。
最後のレースくらい、気負いが勝って、下手こいてしまうこともあるだろうに。
マラソンを本当に本当に分かっているからこそのレースを大迫選手はしていたんだな、
って思って。
「まじで、すげーな。」
と思った。
で、インタビュワーの人が、大迫選手を泣かせようとしている感じの質問を連打している中。
大迫選手は、タオルで目の周りを拭うしぐさを数秒。
「あんま、泣かせないで下さい。」
と言いながら。
それでも、
「陸上界に関わりながら、これからもこれまで同様に『まっすぐに』進んでいきたい。」
「次の世代に頑張って欲しい。」
「今日、自分は、100点満点の頑張りをできた。」
と。
「悔しい。」
という言葉はない。
大迫選手の口から出てくる言葉に、後悔はなく、次の新たな人生に対する向けた意気込みすら感じられる。
「まじで、まじで、すごい。」
これまでの自分の努力を認め。
このレースの結果と、まだ上位の選手がいることを認め。
その中で、自らの進む道を自ら決めて。
大迫選手が、目の周りをタオルで拭っていたあの時間。
彼は、何を感じ、何を考えていたんだろう。
そんな、誰も真似できない、一つしかない大迫選手の人生。
その想いが、このインタビューに詰まっている気がした。
youtu.be
さてと。
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