「哀しきは寿町といふ地名 長者町さへ隣にはあり」
この歌は、2008年頃、朝日新聞内のコーナーである「朝日歌壇」に投稿された歌である。
公田耕一というお名前の方の歌で、住所は「ホームレス」となっていた。
公田耕一さんは、「日本三大ドヤ街」の一つである、横浜は「寿町」の住人だったらしい。
寿町とは、横浜スタジアム、横浜中華街、元町通りといった横浜屈指の観光名所から、わずか200mほどしか離れていない場所にある。
「ドヤ街」
とは、
「宿」
をひっくり返して読んだものだ。
寿町は、バブルの頃、その日暮らしを余儀なくされているいわくつきの日雇い労働者が、仕事を求め、1泊2000円弱という安価な宿を求めて、形成されていった街である。
バブル崩壊後、徐々に賑わいはなくなっていき、今では、生活保護を受ける高齢者が生活をするための、いわば福祉的セイフティネットの役割を担っている街とも言える。
「寿町」という名前からは、想像しにくいその街の様相は、ググっていただければ、様々な情報が出てくる。
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人間は、どんなに綺麗に外見を着飾ろうが、どんなに名誉や地位を得ようが、変わらない本質がある。
ご飯を食べたらうんこするし、オナラするし、おしっこするし。
様々な欲求を満たすために、下世話なこともする。
口では綺麗ごとを言っていても、内心は口には出せないようなヒドイことを思っていたりもする。
だから、そんな生き物としての本質が見えない、飾られたことしか見せなかったり語らない人のことは、
自分は信用できないな、って思っている節がある。
いや、初対面でそんな部分を積極的に見せられても、ちょっと引いてしまうが。
生き物としての本質をチラ見させてくれたり、自分の弱さを素直に表現できる人に、自分は惹かれてしまう。
作られた美しさには、憧れこそ抱くものの、
本当の心の奥底の仄暗い部分にこそ、共感するのかもしれない。
ただ、うちの奥さんは、見せる見せないとかではない次元で生きていて。
本当に純朴無垢で、
「こんな人いるのかよ!」
と衝撃を受けた人だったりする。
人間って生き物は、綺麗な部分もあれば、汚い一面も持ち合わせた生き物なんだ。
太陽の光が強ければ、明るい部分が強調されもするが、その一方、そこにできる影も色濃くなるように。
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先日、奥さんと関内にあるパタゴニアに買い物に行った日。
近くの「時雨」というラーメン屋さんでランチをした。
食べログで3.8点以上の名店だ。
tabelog.com
ランチの後、元町通りのパン屋さんに行こうと、石川町駅に向かって歩いていると。
これまでの街の雰囲気とは一風変わった一角に入った。
そこは、ドヤ街だった。
全く意図せず踏み入れた場所。
「まさか、こんなにも近くにあったのか」
という驚き。
「1泊1700円」と書かれた宿の案内板。
「箱根荘」、「熱海荘」などのドヤと思われる看板。
道端に積み上げられたごみ袋。
福祉センター前の広場に地べたに座って話し込む数名。
「珍来軒」という中華屋さんと「だるま」という居酒屋から漂う何かの臭いがブレンドされた異臭。
100mほど、奥さんと二人で早歩きで通り過ぎただけだが。
3分ほどのその時間に見た、その光景は、衝撃的で。
その情景は、今でもこの目、いや、この五感に焼き付いている。
ここで暮らしている人々は、何かしらののっぴきならない、自分には想像の付かない事情があっての、今の状態なんだと思う。
でも、ここで生きる人たちは、
生き物としての本質に従った結果、この場所にいるのかもしれないと思うと、
非常に人間的で、素直な方たちなのかなぁと思えた。
自分も、やはり生き物としての本質は、常に持っていて。
口には出せないような思いを抱いたりもして。
それでも、可愛い娘たちや、大好きな奥さんや、両親、職場の仲間なんかの顔が思い浮かぶたびに、自制して口には出さなかったりするし、そんな刹那な考えでの行動を抑止しようとする。
なんだろうなぁ。
このノスタルジックで「The人間」を感じさせてくれる、この街は。
何が言いたいのか良く分からなくなってきたけれど。
横浜という街は、飾られた美しい場所も、生き物としてのそのまんまな感じの場所も混在していて。
美しさの中に、危うさを感じられて。
もしかしたら、自分も寿町の住人になるかもしれないな、なんてことも考えてしまう。
もっともっと、自分の住むこの街を深く知りたいと思った。
さてと。
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