子どもの頃。
ブラウン管の向こう側に映っている世界は、架空の世界だと感じていた。
「8時だよ!全員集合」を観ながら、
「いかりや長介」とか、
「志村けん」とか、
自分と同じで、生きている人たちだと理解できなかった。
ここの後ろにちっちゃい人がいるのかな?
って、ブラウン管の後ろ側に回ったこともあった。
実は、そこに映るちっちゃい人は、本当に存在している人たちで。
大人になってから、
「みんな、自分と同じ、人間だ」
ということを知った。
*****
自分がマラソン関係のブログを読みあさっていた頃。
自分にとっては、もしかしたら、
「ブログは、自分が子どもの頃に感じた、ブラウン管に映る世界」
だったのかもしれない。
でも、自分がブログを書くようになり、実はその世界は
「リアル」
で、そこには「ブログを書いている人」がいることを、実感するようになった。
当たり前のことだけど、
「そのブログには、そのブログを書いている人が、自分と同じ『人間』がいるってこと」
だ。
ブログを書いているからと言って、特別な人ではなく。
自分と同じ、人間であるということ。
ブログを通して、ブログを書いている人たちとお会いするようになり、お会いした方々の書くブログが、
よりリアルに感じられるようになった。
だから、お会いしたことがある方に、自分がするコメントは、そのブログを書いている方をリアルに想像して書く。
いや。
お会いしたことがなくとも、ブログを熟読して、そのエントリーを書いている方の気持ちをリアルに想像して書く。
自分のブログにコメントを下さる方も、いくらかいらっしゃって。
戴いたコメントは、本当にありがたくて。
それが、知っている方であろうと、知らない方であろうと。
何か、自分の書いたものに対して、想いがあったからコメント下さったんだろうと。
だって、ブログを読ませていただいて、何か感じても、自分は、相当なことがないとコメントできないから。
で、言いたいことは、
俺は、ブラウン管の向こう側の人ではないんだよ。
自分が知らない人で、その方が何者か分からない方のコメントで、キツいのを頂いたとしても、
「ま、いっか」
って思える。
自分が知らない人に、何を言われようが、
「俺の領域に土足であがってきて、やってくれるじゃないか」
くらいな感じで、ムカッとはくるが、それも6秒くらいなもんだ。
逆に、自分が存じない方からの、プラスな感じのメッセージは、画面キャプチャしてしまうくらいに嬉しい。
でも、自分が知っている方からのキツいコメントは、息が止まるほど苦しくなる。
そこに、攻撃の意図しか感じられないようなコメントなら、なおさらだ。
自分は完璧な人間ではない。
だから、自分の表現力の足りなさや、自分の稚拙さが、「自分が本当に表現したいこと」を、かすませてしまうこともあるだろう。
でも、攻撃的なコメントをしてくる人は、もともと俺のことを「好きではなくて」。
かすんだ瞬間に「そらきたぞっ!」みたいな感じで、攻撃してきているんじゃないかと思ってしまう。
だって、自分は、他の方のブログに、そんなキツいコメントをできないから。
自分は、そう感じてしまう。
繰り返すが、俺は、ブラウン管の向こう側の人間じゃない。
そして、
あなたが、俺が映るブラウン管を覗かなければ良いだけの話。
俺の領域に、土足であがりこんできて、荒らすだけ荒らして、去っていく人。
俺の見えないところで、俺のことで負のやり取りをしている人。
そんな連中に、負ける訳にはいかない。
そんな連中を相手にして、擦り減っていくのは、ごめんだ。
でも、自分は、そんなに強い人間ではないから、そんな連中が見えなくなるくらい遠くに走っていく。
だから、自分のことを想ってくれる人を大事にして。
これから、もっと楽しくて、幸せな未来に進んでいかなくちゃいけない。
あなたにとっては、ブラウン管の向こう側の世界かもしれないが、
そこには、リアルな現実があって、
そこが俺の生きている世界だから。
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