「私くらいになると、それも"Been there, done that."ですよ。」
30歳くらいの頃、尊敬する仕事の先輩がそんなことを言った。
海外の子会社に出向する際の、送迎会での場面だ。
その先輩は、海外の子会社に出向することを、そう表現した。
「なんですか?その、
"Been there, done that."
って?」
"Been there, done that."
は、
"I have been there, I have done that."
を略したものだ。
直訳すると、
「私は、そこに行ったこともあるし、それをやったこともある。」
なのだが、
「別にそれくらいじゃ、何とも思わんよ。」
っていう感じで使われる。
当時30歳だった自分にとって、海外企業に出向ともなると、人生の一大イベントになるような出来事だが、
それまで様々な轍を踏みながら、激動の仕事人生を辿ってきた先輩にとっては、
「朝起きて便所におしっこをしに行く」
くらいの感覚だったのだ。
年齢を重ねるにつれ、
新しい経験をする機会は少なくなり、ルーティンの日々を過ごしている感覚になってくる。
新しいことに取り組む気力もなくなってくるのかもしれない。
~~~~~
社会人2年目の冬。
自分はサンフランシスコに降り立った。
社会人になって、初めての国際会議への参加。
英語でのプレゼンテーションを行う予定だった。
当時、TOEICは700点程度の英語力。
正直、英会話なんてままならなかったし、プレゼンのカンペを一言一句記憶していたし、英語で作成したQA表も記憶するほど準備をしていた。
国際会議の会場は、ホテル内。
自分のプレゼンの順番まで、他の発表を聴講していたが、全く頭に入ってこない。
自分のプレゼンをただただ暗唱していた。
すると、
「これから発表なの?」
"You are going to make a presentation, aren't you?"
隣に座っていた、年齢は30歳前後だろうか。
シュッとした感じでメガネをかけた金髪の女性が話しかけてきた。
「え?あ、はい。」
”オォ、ウェル。。。イェス。”
「緊張するよね。」
"You look nervous... Are you all right?"
「そうですね。これが初めての英語での発表だし、私、あんまり英語が得意じゃないんですよ。」
”ヤー、サンクス。ディスイズ マイ ファースト プレゼンテーション イン イングリッシュ。アンド、アイアム ノット グッド アット スピーキング イングリッシュ。”
「そうなの?そんなに緊張する必要はないわよ。」
"Really? No need to be nervous."
そんな会話をした。
英語をしゃべれないことに対してコンプレックスを持っていて、自分みたいな若輩者に、海外の方が話しかけてくれるなんて、思ってもみなかったので、そのときの印象はものすごく強く残っている。
いよいよ次が自分のプレゼンというときに、彼女は、肩を3回たたいてきて、こう言った。
「toi, toi, toi!」
「ん?それは何?」
”ンン?ホワッツ ザット?”
「私の国にある、緊張を解くためのおまじないみたいなものよ。」
”It's just like a ""good luck charm"" to calm down in my country."
「Good, luck!」
と彼女は、プレゼンの檀上に自分を送り出してくれた。
※「toi, toi, toi」について書かれたHP
トイ トイ トイ(独/ Toi, toi, toi.)|チャコット
初めて立った、海外でのプレゼンの檀上から見えた景色は、厳かで。
ピンと張りつめた痛々しい空気は、聴講者の鋭い視線によって作り出されているかのようで。
背筋とワキ筋から垂れる汗を感じながら、心の中で、
「トイ、トイ、トイ。」
でも、事前に100回以上は暗唱していたプレゼンは、何の問題もなく、滞りなく終了した。
2つあった質問も、事前に用意したQA表にあったものと同等だった。
ホッと一息ついたところで、お礼をしようと、彼女が座っていた席を見る。
そこに、彼女の姿はなかった。
会期中、その彼女には会えなかった。
美化されてしまっているのかもしれないが、その彼女は、絶世の美女だったような記憶が、うっすらと残っている。
うん。
絶対に絶世の美女だったはずだ。
自分にとっては、初めての、ものすごく刺激的な経験だった。
この経験があり、英語を必死に勉強するようになった。
「また海外出張して、新しい経験をしたい。」
そう思って。
~~~~~
"Been there, done that."
この感覚ばかりになってしまう人生はもったいない。
当時30歳だったとき、尊敬する先輩がこの言葉を口にしたときと同じ年齢になる来年。
尊敬する先輩ほど、場数も経験も少ないかもしれない。
でも、新たな成長のために、新しい経験、新しい緊張を求める。
いくつになっても、その感覚は大事にしたいと感じている。
新しい舞台に立つとき。
思い出す、あの壇上での緊張感を。
あの、絶世の美女を。
そして、心の中で呟くのだ。
「トイ、トイ、トーイ!」
と。
少しずつ、前へ。
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