「大学に入るなら、東大か、早稲田か、慶應だぞ。」
俺の父親は、俺が小学校1年生の頃からずっと、そう俺に言っていた。
俺には、ずっと意味が分からなかった。
大学受験が近づいた高校3年生になった頃、その意味するところのハードルの高さを知った。
ただ、子どものころから言われ続けていたことで、
「自分は、絶対にやらなければならない。」
という、そんな気持ちにはなれていたのかもしれない。
うちの父は、「男なら。。。」とか「長男なら。。。」と、昔気質のあるべき論を強く持っている。
例えば、こんなエピソードもある。
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「男なら、喧嘩に負けて帰ってくるな。」
「男なら、涙を流してはダメだ。」
「男なら、女ったらしではダメだ。」
「男なら、勝負しろ。」
「長男なら、絶対に弟を守れ。」
「長男なら、弟のやったことの責任を取れ。」
「長男なら、うちの長兄として恥ずかしくない生き方をしろ。」
とにかく厳しかった。
俺には厳しかった。
弟には、結構甘かった。
正直、そこには、ムカついていた。
でも、父親に認めてもらうために、誉めてもらうために、頑張っているという気がする。
今でもだ。
*****
うちの父親は、国家公務員だった。
The激務。
俺が起きている間に帰宅することは、ごく稀。
土曜日も出勤。
日曜日は、昼過ぎまで寝ており、一緒に遊んでくれることはほぼなかった。
父親とキャッチボールできた日のことは、今でもすごく良い思い出として、鮮明に記憶に残っている。
俺が小さい頃、月曜日の朝に出勤する父親に対して、
「また、遊びに来てね!」
と言ったことがあるらしい。
このとき、すごく寂しかったというエピソードを、父親の口から、もう何100回も聞いている。
俺が高校生の頃、国会の予算のことで国会で揉めているとき、その対応で父親が超絶忙しくなり、1週間ぶりに見た父は、テレビのニュース番組の中だった。
騒ぎ立てているメディアの対応をしている父親がテレビに映っていた。
とにかく仕事で忙しくしていたし、自分にも厳しい人だ。
*****
そんな父親は、俺が大学に入学し、就職した頃には、あまり厳しいことを言わなくなった。
ある日、父親は、俺にこう言った。
「先輩にこの前、『〇〇君のお子さんって、今は何してるの?』って聞かれて、××大学を出て、今は△△で働いてますよ。」
「そう言ったら、『すごいじゃないですか!』ってものすごく驚いてくれて、俺はすごく嬉しかったよ。」
「もう、お前は、俺を超えたよ。」
その時、嬉しい気持ちと寂しい気持ちがあった。
俺は、ここまでは、父親が敷いてくれたレールの上を歩いてきただけだったのかもしれない。
父親の期待に応えるために生きてきたんだと。
人生の次の目的地は、自分で決めなければいけないんだ。
と。
自分で決める。
これは、当たり前のことなんだろうけど、俺は、今でも父親からの厳しい言葉を待っているところがある。
そして、その厳しい言葉の裏にある期待に応えたいと。
親は、自分がいくつになっても、親なんだな。
俺、ちょっと実家帰ってこようかな。
今の俺のいろんなこと、話聞いて欲しいや。
そして、厳しい叱咤激励もらって、また帰ってきたいと思う。
男同士、ゆっくりお酒を飲みたいな。
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