3人娘の親父が走る。いつだって全力中年。

3人娘の親父がランニングを中心に、日々の出来事をそこはかとなく綴ります。

選択と責任。

俺は昔、オムツにおしっこをしていた。

ただただ、おしっこを出したいときに。


少し俺が成長すると、両親にたびたび、おまるに座らされるようになった。

おまるに座っているときにおしっこを出すと、褒められることを知った。


もう少し成長すると、オムツが外れた。

たまに両親が俺に、こう言う。

「そろそろ、おしっこしてきたら?」

そう言われて、トイレに行くと、おしっこが出た。



小学生の頃。

俺は、トイレに行くときに、両親に断りを入れていた。


「トイレ行っても良い?」


「いいよ。早く行ってきなさい!」


その癖は、今でも残っていて、トイレに行くときに、奥さんに行くことを事前に報告することが多い。



赤ちゃんの頃、

「おしっこをする」

ことを、選択肢の一つだとも理解できていなかった気がする。



少し成長して、おまる時代。

「トイレでおしっこをする」

ということが選択肢の一つで、その選択をすると、両親に褒められるといことを知る。



もう少し成長して、

「トイレ行きなさい」と、

「トイレでおしっこをすることを親に勧められる」

という状況になり、俺のおしっこは、両親の責任の中で行われる行事になっていた。



小学生になり、

「トイレに行きなさい」と言われなくなった俺は、両親にその選択をする際に、断りを入れるようになった。

俺のおしっこは、その時点でも両親の責任の範疇で行われているような意識だったのかもしれない。



*****



人生は、選択の連続だと言えるだろう。


今の自分は、自分がこれまでにしてきた選択の上に成り立っている。



今、歯磨きをするか否か、という小さい選択肢もあれば、

進学する学校をどこにするか、という大きな選択肢もある。

人生を共にする伴侶を決める、ということも大きな選択肢の一つだろう。



生まれたての頃は、無限の選択肢がある。


でも、無限過ぎて、何を選べば良いのか分からない。


その無限を、いくつかの選ぶことが可能な選択肢に落としてくれるのが、親だったり、周りの人だったりする。



両親が最良だと思っている選択肢を提示してくれて、

それを実行することで褒められていた子どもの頃。



自ら選ぶことで、そこに責任が発生することすら理解できていなかった気がする。



でもあるとき、

自分で部活を選んだり、

親にお願いしてトランペットを習わせてもらったり、

国立大学に合格したのに、私立大学に通いたいと親にお願いして通わせてもらったり、

就職活動でいくつか内定をもらえた中から、今の企業を選んだり、

自ら選択肢を探し、自ら選ぶことをできたときに、

そこに自ら選んだ道に対して、責任を感じて、少し、大人に近づいた気がした。



今の自分は、自分のしてきた数々の選択の上に、自分の責任でできたものなんだ。


もし、選択が良くなかったと感じたとしても、自分が、自分の責任で選んだ選択肢ならば、自分で消化できる。


他の人のアドバイスや、他の人の期待に応えるために選択してしまうと、その後、万が一失敗した時に、くすぶり続ける可能性がある。


たまに、選択肢を強要してくる人がいるから、そんな人には、要注意だ。


その人は、あなたの人生に責任を負う気がない可能性があるから。


人からの期待も大事だけど、最終的にはしっかり自分で判断しよう。



*****



子どもを持つ親として。


子どもには、「自分で選択した」ことを意識してもらいたいと思っている。


今、遊んでいることも、勉強していることも、習い事をしていることも、この先の目標を立てることも。


それらは、すべて自分が考え、自分が選択したことだと。


それが、奥さんや自分が考える「良いの選択肢」であるならば、親としては幸せだ。


でも、たまにはそこにズレが生じることもある。


そんなこともある。


でも、それは娘の人生だから、娘が選んだのであれば、尊重したい。



*****



「選択」について書かれた書籍の中で、良書がある。


「選択の科学」




原作の題名は、


「The Art of Choosing」


科学ではなく、アート。



選択について、実験を通して、科学的に分析されている良書で、マーケティングに関しても非常に有効な手法も学べる。



もちろん、俺の大好きなTED Talksにも講演の動画がある。
www.ted.com



この中(書籍でも)で、紹介されている、ジャムの販売に関する実験がある。


24種類のジャムの試食コーナーを作った場合と、

6種類のジャムの試食コーナーを作った場合の、

2つのパターンの比較実験。


24種類の場合は、試食してくれた人は多かったけど、購買にはつながりにくかった。

6種類の場合は、試食してくれた人は少なかったけど、24種類の場合の6倍ほど買ってくれた。

という結果。


選択肢がある程度限定されないと、人は最終的な選択をできないのだ。




子どもに対しても、いくつかの選択肢を示して、「最終的には自分の責任で選択した」と思ってもらえるように接したいと思うし、


仕事をする上でも、分かりやすい数種類の選択肢を用意した上で、上長に判断を仰ぐことが良いのだろう。




そんなことを考えながら、

俺は、これからも、おしっこをしに行くことを奥さんに報告するだろう。




応援のポチ、お願いします!
にほんブログ村
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ

/* 画像拡大無効 */